第1回ワーク
ショップ議事録
テープ1
1.開会挨拶
大澤
それでは第1回文部科学省国際教育協力拠点学校保健分野のワークショップを開催したいと思います。それではさっそくですが益本先生にご挨拶をお願いいた
します。
益本
ご指名でございますので、開会の挨拶をごく簡単にしたいと思います。本日はご多忙中、そしてまたまるで真夏になったような暑い中を、近い方もいらっしゃ
いますが遠路はるばる先生方おいでいただききまして、大変ありがとうございます。
私はここの人間生活科学研究所の第四部門情報文化研究部を担当しています益本です。ほとんどの方は以前にお会いしたり、場合によってはタイでご一緒したり
で、おわかりいただけるかと思いますが、私の部門は生活文化の実態と変容を主に情報化とかあるいは経済化の視点からフイールドワークを通じてとらえようと
して、活動しているところです。フィールドは10年あまりタイ、北タイを中心に最近では台湾が・・・・
さて今日と明日で、文科省の国際教育協力プロジェクトということで一緒に展開させて頂きたいと思います。内容につきましては私も不勉強で十分理解できてお
りません。
これからプロジェクの責任者であります大澤教授からご説明頂きます。今日と明日積極的にご参加いただきまして意義ある時間となりますよう希望して、簡単
ですが開会の挨拶とさせていただきます。
2.拠点指定の経過と報告
大澤
さっそくですが、私の方から計画について報告させていただきます。まず皆さんのお手元にアジェンダがあります。1,2,3、という風に印刷されて、番号
がふってある資料、これをもとに話をしたいと思います。
すでにご承知のように小泉内閣になりましてから遠山さんが文部科学大臣になり、にわかに国際教育協力ということについて、国としても拠点システムを作る
ことによって、これまでのひとつの大学、ひとつの学部、ひとつの学科が別々に協力をしていたということを修正いたしまして、たとえば幼児教育であれば御茶
ノ水女子大学、あるいは学校保健であれば私どもというところに拠点を設けて、そこに情報や人やいろんなものを集中させることによって国際協力の効率的なそ
の運用していこうということになってきたわけです。昨年度は中根千枝先生を座長にいたしまして懇談会が形成されまして、その懇談会のなかで今回の学校保健
および幼児教育、そして環境教育、障害児教育、この4つの柱が拠点の対象になったわけでございます。文部科学省では国際社会が進めている万人のための教
育、これはダカール行動計画というものですが、これを達成するためにわが国でも拠点システムを採用したわけです。特に初等、中等教育、幼、小、中、高を対
象とした拠点システム構築ということを考えております。
すでに広島大学と筑波大学を拠点にして(これを中核拠点という言い方をしているのですが)、ここに人や情報を集中させてることによって、国際協力してい
くというのです。いずれにいたしましてもこの2つの大学が教員研修、それから科学教育というような分野で、従来仕事をしてきました。特に広島大学は国際協
力可能な人、研究者あるいは教育者らのリクルートシステムを持って、ここにデータベースが蓄積されております。
筑波大学は現在進行中の仕事としては、電子アーカイブというものを育成しています。これはどういうものかといいますと、例えばインドネシアで理科教育を
やったとします。するとその経験だとかデータだとかいうものをそのまま電子アーカイブにします。また私どもが例えばタイでこのような仕事をやってうまく
いったとします。その文章、データ、写真がありますと、そういうようものも全部電子アーカイブとしてストレージする、そういうようなことを今進めているわ
けです。また、益本先生も関係なさっていますがNGO、教育協力のNGOというものがたくさんありますが、これもひとつネットワーク化しようとしていま
す。実際NGOの団体というものは非常に数が多く、お互いにもうちょっと効率よく連携すれば実があげられるのではないかということから、これも国としては
今回の拠点システムとしては大変意欲的にNGOのネットワークを作るようにしているわけです。
こういう従来のやり方に加えまして、経験の浅い分野、協力経験の浅い分野ということで、今年度平成15年度から障害児教育と、環境教育、幼児教育、学校
保健が候補にあげられまして、昨年度、私自身が文科省でヒアリングを受けたわけです。
3.事業計画案と将来計画
大澤
続いて事業計画案を話させていただいて、ご質問いただきたいと思います。
それでは、セミナー資料8と書いてある4ページ目ですね、それを見ていただきたいと思います。これは先月の末にジャイカの総合研修所で、拠点システムに関
するセミナーが開かれました。そのなかで私たちの学校保健に関する内容をお話したのが資料の4ページ目でございます。学校保健分野における国際協力の基本
戦略に関する研究、これが私どもの研究テーマです。正式には先生方にどこか書類に書いていただくときはこのタイトルを書いていただきたいと思います。
東南アジアを始めとする発展途上地域の学校では栄養安全、保健管理、学校環境、保健教育などの問題のほかエイズ、薬物の乱用、少年の非行を始めとして多
くの学校保健の課題があるわけです。これらの地域で教育ためのインフラを始めとして、教師の質や知識、技術としての保健管理、保健教育などは水準の低い。
そしてこれに対するわが国の経験を活かした協力が有効であろうということです。
また、ナショナルインタレストというものを考えたときにわが国が明治以来培って成功してきたさまざまな経験というのがあり、それを発展途上国に移転して
豊かな社会になってもらいたいとこういう主旨のことでございます。すこしおこがましいですけれども。学校保健分野につきましてもこの日本の経験を活かした
協力をしていくということになります。ご存知の方も多いと思いますが学校保健学という学問で考えたときは学校保健は23のドメインに分かれている。しかし
そのなかで、なんでもかんでも協力というわけにはいきませんので、さしあたってこのなかで9つ選ばさせていただいて、それをあれこれ検討して実際に協力で
きるのはどこなのかということをターゲットを一つ二つ、絞るということが今年度の仕事です。以下、簡単に分野の説明をします。
保健統計評価というのは我々東南アジア保健統計研究会がやってまいりました仕事そのものです。もしこういうことで協力させていただくんでしたらこれはな
んの準備もなくってノウハウも持っているわけです。保健教育というところは非常に重要で、国際教育協力ではカリキュラムを作るのを手伝うとか、教材を開発
するとか、ビデオを作るとか、CDを作るとかということです。
学校環境衛生は水の問題、空気の問題あるいは足洗い場を作るとかでも、教室環境がずいぶんきれいになるんですね。たとえばただで学校を寄付するというこ
とがはやってます。しかし、そういうところに行ってみると足洗い場がなく、きれいな教室があっというまに泥だらけになってしまう。そういうようなちょっと
したノウハウ、これはわが国の学校環境づくりで培ってきて、たくさんの蓄積がある。佐川さんなんかもよくわかっているでしょうけど、たとえばウボンの田舎
の学校に行くと、せっかく蛍光灯がついているのに肝心の蛍光灯の角度が悪いからうまく黒板を照らさない。建物の窓がみんな木製なので、閉めると真っ暗に
なってしまう、開けると明るすぎる。なんとか工夫できそうな事がたくさんあるわけです。保健指導でも薬物の乱用の予防でも手を貸せるのではないかと思いま
す。特に保健教育、保健指導に関しましては私が次のようなことを日ごろ感じていることを申しあげていましたところ、これが評判になって、今月の末にユネス
コの話題で取り上げられることになりました。
タイでエイズの始まるのが1983年、現在はアバウト80万人、近く100万人になります。83年には保健省は一生懸命80年代から保健教育をアナマイ
等で一生懸命やってましたのはご承知のとおりですが、実際まったくコンドームは使われていないと言っていいわけです。私が編集に携わっているSeamic
Health Statisticsの1995年まではコンドームはまったく統計上は使われていない。これはDepartment of
Healthの正式な統計でそういっています。80年代なかばから保健省は一生懸命コンドーム教育をやったんですけどほとんど効果がなかったのです。しか
し2000年はこれは1パーセントです。2001年は3.6パーセント、2002年のときは7パーセントと急に増えてきたとこうなってきたんですね。どう
してかというと若い層がその調査のなかに組入れられるようになってきたと。
この若い人となにかというととりもなおさず学校でエイズ教育をうけてきた人たちなのです。つまりアナマイでいくらやっても増えなかったのが学校で正しい
知識を教えることによって、急に増えてきた。これは要するに医療協力の限界であると私はセミナーで言いました。医療協力に莫大な金をつかってきました。こ
れは、すぐに結果は現れてきました。しかしそこで終わっちゃうわけですね。しかし学校教育でやった場合にはこうやって地道にやってると必ず出てくる。チェ
ンマイできいたところでは1992年に学校で初めてエイズ教育が始まるんですね。そして95年ぐらいから盛んに行われるようになりますので、ちょうどその
時代に小、中学校、高等学校にいた子供たちが結婚年齢にさしかかって、この数字になったのです。
中にいた外務省の人や文科省の人がなんとかこれを文章にして、ユネスコでもやりたいと言っています。、学校保健に視点を医療協力から移していくようにする
べきだというように考えています。
それから保健管理ですがこれは健康診断の話ですが、ちょっとすぐには手がつかないんではないかということをセミナーで申し上げました。保健組織、これは
益本先生なんかもおやりになっている団体の方がむしろ適しているのですが、実際地域や家庭、学校を連携させることによって、そういうシステムを我々がいろ
いろと手伝いをするというようなことで協力するということであります。ただ学校給食・栄養、これもひとつの非常に大きな柱でして、これは後ほど笠井さんの
方から報告いただきたいと思います。ここにも日本の経験をいかした協力が必要だということですので、平山さんにぜひ学校給食のわが国の歴史、そしてそれが
なぜうまくいったのかということもどこかで報告していただくようになると思うのですが。
最後になりますが性教育と安全ということで、これは性教育については我々もやってきましたし、安全については家田先生がおりますのでぜひ一回レビューして
いただきたいと思います。そこで今年度の事業でございますけども、まずはわが国における学校保健の諸問題と改善の歴史、経験の整理をすること、これは文科
省の方からいただいている宿題でございます。これからどの分野にするかということは第二段としまして選ばれた分野につきましてはわが国の歴史というものを
レビューしておくということが必要になります。
それからJICAベースの仕事にシフトしていったときに必要になるものとして、どういう方が協力していただけるのか、学会のなかで何人ぐらい、たとえば
行っていただける方がいるのかと。タイの場合は我々が行けばいいのですが、場合によってはアフガンですとかインドネシアとかどういう人が行けるのか、そう
いった将来を見据えたヒューマンリソーシスの調査というようなものもやりますので、これはのちほど国土さんの方から具体的な提案をいただきたいと思いま
す。
(テープ2に続く)
テープ2
5.従来の経過とWFP活動報告
大澤
それでは文部科学省国際教育協力拠点ワークショップの活動報告というところで、従来の経過とWFP活動報告で、お願いいたします。新潟大の笠井先生で
す。よろしくどうぞ。
笠井
こんにちは笠井です。よろしくお願いします。
先ほど、大澤先生からこの拠点システムについてご説明いただいていますが、拠点システムを我々が知る以前にWFP、すなわち世界食料計画という機関と文
科省との連携が徐々に始まっています。そのために、私が去年のちょうど今頃、5月の終わりにカンボジア、ラオス、タイへ出張に参りました。その報告とし
て、「文部科学省、国連世界食料計画(WFP)、および国連教育科学文化」による現地調査報告」が資料として皆様のお手元のところにございます。これを今
全部読んでいると疲れますので、あとで目を通していただきたいと思います。
現在、さまざまな国際機関が一緒になってある計画を起こしております。そのことを説明しませんと拠点のことや目的もまだよく見えてこないということなの
で、今日は出張の報告プラス、これに関する説明をさせていただきたいと思っています。
それでは、最初に大澤先生がお使いになった資料の2枚目をもう一度ご覧下さい。これを読ませていただきますが、文部科学省では、国際社会が進めている
「万人のための教育」、すなわちダカール行動枠組みのための取り組みへの貢献を重要な位置付けとしています。ダカール行動枠組み、万人のための教育という
言葉は、英語ではEducation for
Allであり、または「EFL」と略されて、現在、国際機関でさまざま場において使われている言葉となっています。その万人のための教育と学校保健にはど
のような関係があるのかについて、説明する必要があると思います。
国際機関として、ユネスコ、ユニセフ、WHO、WFPそしてワールドバンクが連携して進めている学校保健とEducation for
Allとの関連について説明をしたいと思います。先ほどから話題に上がっている、万人のための教育というのは、2000年4月にセネガルのダカールで世界
教育フォーラムが開催されましたが、そこで共通理解となった言葉です。しかし、それよりも前から存在はしていました。2000年は、EFLにとって、学校
保健に着目することが非常に効果的であるということをユネスコが提唱した年となります。現在、その理念をまとめて、フレッシュ(FRESH)と呼んでいま
す。日本語に訳しますと、効果的な学校保健の援助へ焦点を合わせるという言葉になります。これは、Focusing Resources on
Effective School Healthの頭文字を合わせてフレッシュ(FRESH)としています。
フレッシュという構想は4つの中心的な要素をもっています。後からもう一度まとめますが、先ず1つ目に、健康に関連した学校の方針というものが大事であ
るとしています。その方針というのに例えばどういうものがあるのかといいますと、民族的ハンデイキャップがなく、教育に等しい機会を与えるということも大
変結構であると考えます。そして薬物乱用のない学校、これらもまず方針をたてるということがまず第一に大事であると考えてられています。
次に2つ目としましては、健康で安全な学習環境を設定するということが目標として置かれています。これは学校保健環境としても非常に大事なところなのです
が、適切な水の供給をすることも必要です。2つ目の例としては、安全で適切な校舎を提供することも必要です。後の話しにでてきますが、国によっては学校に
行くことが危険だという国もあります。これは日本人にとってちょっと忘れがちなところなのですが、途上国ではとても大事なものであると考えられています。
皆さんはもちろんご存知でしょうが。さらに、男女別のトイレ、これも大事です。今は3つの例のみあげますが、他にもいろいろたくさんあると思います。
3つ目は、スキルを基本とした健康教育です。先ほど大澤先生の方からいただいた資料では、基本となる生活技能の面で、と書いてありますが、学校保健の分
野ではこれをライフスキルと呼んでいます。これがフレッシュ構想の3番目でもライフスキルと用いられています。スキルを基盤とした健康教育、すなわちライ
フスキルを基本とした健康教育です。これはどういうことかといいますと、たとえば生徒用であれば、衛生的な行動をとることに関してスキルを主体に教えると
いうことになります。たとえば手を洗うこと、歯を磨くこと、食品を洗うこと、それらをただ知識だけ与えるのではなくて実際どのように行うのかという技術も
教えるということです。教師用とするならば、水や廃棄物の衛生的な管理について具体的な処理方法を学ぶこともあげられています。
4つ目は、学校を基盤とした健康と栄養のサービスです。このサービスを日本語的に表現するのは難しいですが、供給するという意味にとると、学校給食とか
腸内寄生虫に対する治療などが含まれます。この寄生虫対策は非常に大事な点で、例えばラオスでは手洗いに関する活動を熱心に実施しているそうです。次に、
歯科的なクリーニングを行なったり、治療等を含んだものを提供することが含まれます。
以上のように、フレッシュという考え方、効果的な学校保健の援助で焦点を合わせるという考え方は、学校における問題を診断し、解決するための一つの枠組
みとして提供されています。今お話した、方針、環境、スキル基盤の健康教育、そしてサービス、これらが揃うと学校保健のシステムが非常に円滑な動きをする
と考えられます。延いては学校保健的な要素がうまくいかないために学校に行けない、学校に行ってもすぐにやめてしまったりする子供を救い上げることができ
ることにつながります。いろいろな場所に援助をするのも大事ですが、学校保健の分野に援助すると効果が上がりやすいのではないかというのがフレッシュ
(FRESH)の考え方になっています。
他にも3つの援助戦略というものを提唱しています。1つ目は、教師とヘルスワーカーとの効果的な連携についてです。これは日本も当てはまりますが、保健
所の人たちと学校の教師たちが連携するとうまくいくのではないかという発想です。2つ目は、地域との効果的な連携を深めることです。3つ目は、児童生徒自
身に自覚をもたせるために参加をさせる。
国家的規模の教育活動計画やプログラムがあったとしても、そこに学校保健のプログラムを含めなければ、活動計画やプログラムが進行し難いとユネスコは考
えているようです。フレッシュという認識と供給にかかわる援助を実施して、最終的には効果的な学校保健プログラムが具体的な教育活動計画やプログラムに取
り入れられることを目指して、ユネスコは援助活動を実施しています。ユネスコだけではなく国際機関の方も賛同しています。
今日、私の役割はWFPの活動報告になっているのに、なぜWFPが話題にあがってこないのかと疑問をもたれた方もいらっしゃると思います。WFPはフ
レッシュに賛同していますが、また独自の活動もしているので、WFPの話を少しさせていただきたいと思います。
ではもうひとつの資料をごらんください。ちょっと厚めのThe United
nations world food of program WFP 国際連盟食料計画についてという資料をご覧いただきたいと思います。ちょっと読み
ますが、このWFPという機関は、活動内容として、食糧援助を通じて発展途上国の社会経済発展及び緊急援助を行うという唯一の食糧援助機関になっていま
す。1961年に国連総会で設立されました。非常に長い歴史を持っています。目的は、世界から飢餓を撲滅し、人々の自立と生活向上の実現をめざすための食
料援助を実施することです。あとは時間があるときに読んでいただきたいのですが、ちょっとこちらの資料にいきたいと思います。
大澤
今イラクとか北朝鮮とかアフガンではWFPの援助で生存を確保しているのでしょうか。
笠井
私たちはあまり意識していないようですが、WFPの任意拠出金についてお話しします。この36%と一番大きい部分はアメリカですが、我々はなんと26
パー
セントも拠出していて、非常に貢献している国となっています。しかし、最近イラクに対する緊急援助が、テレビニュースにもよく取り上げられるようになった
のですが、WFPは日本人の中ではあまり知られている組織ではないようです。日本が非常によく協力をしている組織であり、WFPの活動について、是非多く
の人に知っていただきたいとWFPの担当者から話しをされました。
大澤
WHOとはどういう関係なんですか?
笠井
連携した活動を行っています。お手元の資料の1ページ目の真中ちょっと下のところをご覧いただきたいのですが、WFPの活動としましては大きく2本の柱
が
あります。まずは緊急援助です。これは戦争等で生存のための食料配給が困難になれば、そこにすぐに食料を運んで行きます。この活動をよくテレビでみること
ができます。2番目に、経済社会開発援助というものを行っています。ここにWFPの問題や悩みがあるのですが、過去は経済社会開発援助に2/3ぐらいの予
算を当てていました。しかし、最近非常に世界の情勢が悪化し、緊急援助の負担が逆転して多くなってしまい、経済社会開発援助の方に予算を配分しにくいとい
うことがおこっているそうです。学校給食のような活動も実施しているのですが、こちらへの予算が不足しています。それではその活動についてもう少しくわし
くお話をしていきたいと思います。
お手元の資料の2ページ目をご覧下さい.経済社会開発援助のなかに大きく3つの柱があります。1つ目のお話をしていたいと思います。まずはFood
for
Lifeこれは生命ための食料、緊急援助というものです。現在はこれにウエイトが大きくなっています。3枚目をご覧下さい。3枚目の真ん中のところに
Food for
Growthというところがあります。成長のための食料、経済社会開発援助ということです。我々が非常に近い立場で考えられるのはこのFood for
Growthです。この中に、学校給食のような考え方が含まれます。WFPは非常にユニークな考え方を持っていまして、その食糧援助を特に女性のためにあ
てるということが有効であると言う考えを示しています。3枚目のFood for
Growthにアンダーラインがあるのですが、そこを見ていただきますと、発展途上国では子供たち、特に女子の就学率が低いと言うことがあげられていま
す。
女子というものは家の労働力、家庭の労働力として使われたり、学問を与えなくてもいいと考えをもっている途上国の人々が多いために、就学率が低くなって
し
まうという状況があります。それを重要視しているわけです。それがまた悪循環を繰り返すという理由から、女性の援助というものが効果的であると説明してい
ます。その文章の下に、女性と飢餓という部分があります。ちょっと読みますが。今現在8億人以上の人々が飢餓に苦しんでいる状態があります。そして飢餓に
陥る人々のうち75パーセントが女性と子供だということです。そしてその栄養不足は、胎児や乳幼児に多大な精神力、肉体的悪影響を及ぼすということで、さ
まざまな後遺症を残すことがわかっています。そのために、WFPでは女性に対して優先的に食料を配布するという活動を行っています。
それではこちらをご覧戴きたいと思います。これはWFPから頂いた資料ですが、Food for
Educationという考えを基に行っています。いわゆる学校給食のような活動ですが、この絵ををごらん戴きたいと思います。ちょっと話がそれるのです
が、これはカンボジアの子供が描いた理想的な学校の絵です。可愛いのでご覧下さい。子どもの目からみてという意味でご理解下さい。まず安全で栄養のある食
べ物があること、きれいな水があること、トイレがきれいなこと、そして、学校に菜園があること。このようにきれいな学校環境があることを理想的な学校であ
ると子供は思っています。
女の子がなぜ学校にいないのだろうかということで、ブータンでも活動を行っています。ブータンの女子が学校に行かない理由を調査した結果がこちらです。
ま
ず家のことをいろいろやらなくてはいけないからだということです。これは別にブータンに限らず発展途上国でよく見られる現象であり、女の子は家事労働に使
われているということになります。2番目は、学校までの距離が非常に遠いということ。女の子なので、学校に行く間にさらわれるということもあるでしょう
し、いろんな危ないことがあるんで親が出したがらないということもあるのだそうです。3番目は、親が女の子に教育する必要がないという考えをもっていま
す。4番目は、学校に行くにはお金もかかるから行かせない。4番目は健康問題、常に病気にかかっていて学校に行けないこともあるでしょうし、学校に行って
病気になる問題もあるということ。5番目に学校自体の安全性の問題。6番目には結婚してしまっている。7番目は仕事に就いているということで、このような
理由によって女の子が学校に行かない状況があります。これらの理由は、他の途上国でも似ていると思います。
先ほどの、女子に対しての援助について説明したいと思います。飢餓サイクルがあると考えています。まずは栄養不良の女性は、妊娠するときに低体重の子供
を
産みやすいということがわかっています。それが一つの問題になります。次に栄養不足になります。あるいは逆に、母親の教育不足というものがもともと栄養不
足から起こるという考え方があります。そしてそのような栄養不足の母親、教育の足りない母親からは栄養不良の子供が産まれ、また育てる、栄養不良の子供を
育ててしまうというつながりがあります。次にその栄養不足の子供は、言い方が不適切かもしれませんが、学習能力が低くなってしまう。もともと栄養不足であ
る子どもは、さらに学習能力まで低くなってしまうという連続があります。そうなると学習を十分にしていない子どもは、いい収入を得にくいということで、ま
た貧しい暮らしをすることになります。そしてあまりいい生活ができなければ、また妊娠中に豊かな食事が得られなくなります。このように、飢餓のサイクルと
いうのはなかなか断ち切ることができない。貧しい人はいつまでたっても貧しい、女の人はいつまでたっても苦しいとままであると考えています。これのサイク
ルを断ち切って上げなければならないのではないかということです。そのためのWFPの活動として、一つはスクール・フィーディング、名前はスクール・
フィーディングですが、内容はほぼ学校給食と同じです。次に、持ち帰り食料という活動を実施しています。持ち帰り食料とは、女性を対象にしか実施していな
いのですが、どうしても学校に来ない子を来させるために、親に一年分ぐらいの食料を学校を通して渡すことです。すなわち、学校に行けば子どもは給食を食べ
られるし、食料も家に持ってきてくれるという理由から、親のモチベーションを高めるのに非常に有効となるそうです。
次には、ただ与えるだけでは効果が低く、ただ援助だけをしているということで、そのひとたちが援助に依存してしまい、自ら食料を得ようとしないという構
造
が構築されてしまうそうなので、健康や栄養面での教育もしています。さらにその学校の先生方やヘルススタッフの方に対する教育やトレーニングも実施しま
す。この3つの活動を通じて、先ほどの飢餓のサイクルを断ち切る取り組みを行っています。大澤先生の話にもあったダカール行動枠組みにおいて、
Education for
Allに対してWFPも参加しています。食料というものを中心にサポートするとどのようなことが起こるかということですが、まず女性に対する栄養などの健
康面でのケアをする。そして厚生面での環境に対するケアをします。そうすれば健康状態、栄養状態が改善されることから、短期の飢餓状態をすこし軽減するこ
とができます。その結果学習能力を高め、大切にすることができます。そして就学率、出席率、退学率、そういうものも減らすことができる。これらが一緒に
なってEducation for
Allを満足していくようになるであろうという理由から、WFPは食料に着眼して援助を行い、EFAに貢献していく考え方をもっています。
今までのところでご質問がありましたらどうぞ、おっしゃっていただきたいと思います。
活動の評価を実施しており、この図はWFPが活動を行っている学校とそうでない学校の就学率を比較したものです。1990年〜2001年までですが、援助
を行っている学校の方が就学率が高いという結果をみせています。
笠井
今お話したところは、皆様方にお配りしている資料の3ページから4ページ、5ページにかけて、書いてありますのでお時間があれば読んでいただければと思
い
ます。
このような援助のみを実施していると、なかなか人々が自立できないという理由から、資料の5ページのように、活動の3つ目としてFood for
Workという活動があります。これは自立のための食料、これは経済社会開発援助でも加えられているのですが、インフラ的なものを村人に作ってもらって、
その代償として、お金ではなく食料を与えるということをしています。この方法は、人々が今後自立して生活していくためのインフラを自分たちで作ることがで
き、かつ食料を得られるというメリットがあります。この活動も援助として重要であると考えているそうです。
以上をもってWFPに関する説明とさせていただきたいと思います。
国土
今の3本柱の1番と2番は直接の食料を持っていくと、3番はJICAがやっているような農業技術、生産技術支援ですか?
笠井
そこまでには至っていないように感じます。
国土
では今のところをもう一度確認します。一番最後の柱はインフラの整理をすることによって食料を渡しているということ。
笠井
そうです。
国土
食糧生産のノウハウを伝えているというわけですね。
笠井
そこまで深くWFPは関わっていないと思います。もし実施しているとすれば、他の組織と連携して行うことになると思います。
笠井
ご質問があったらどうぞ
国土
食糧支援をしている該当地域の食糧生産状況などの把握はどうでしょうか?
笠井
WFPの資料の1ページ目を開けていただきたいと思います。今、あまりにも説明が長いので、とばしているのですが、元々は明確な指標をもって援助をして
い
ます。1ページの下のところに脆弱度分析と地図化に関する説明があります。これはVAMと呼ばれますが、国土先生がおっしゃったような、自国で生産してい
る食料の状態、飢饉がおこりやすい状況、地理的な状況等に、もろさがでるのを評価、判断しています。これらの調査項目によって援助ポイントを決定している
そうです。
2ページ目をみていただきたいのですが、食糧援助活動の設定の「5R」というのがありまして、それをちょっと読みますが、食料援助の策定に際して、他の
国
連機関と共同で現地の状況を綿密に調査しなくてはならない。最適な援助方法を立案するために、5Rの項目が一般的なガイドラインとして用いられている。
5Rとは、ライトフード(適切な食糧)、ライトパーソン(適切な対象者)、ライトプレイス(適切な場所)、ライトタイム(適切な期間)、ライトクオリティ
(適切な量)です。無駄な援助をしないことを前提として、非常にいやな話ですが、食料の横流を防ぐ意味もあります。
男性に援助物資を渡すとそれを金銭に換えることが女性に渡した場合よりも多く起こることがあるそうです。これ以外にも、ノーアクセス、ノーフード、「ア
ク
セスなくして、食糧なしという方針があります。モニタリングができないようなところには援助を行わないというポリシーをもっているそうです。このように、
ただ援助物質の垂れ流しにならないようにいろんな方法をとっています。
以上がWFPのプロジェクトに関する説明なんです。
続いて、それでは私はどのようなところに行って、視察して来たのかについて、今からスライドでお見せしたいと思います。
次はスライドです。
---スライド---
大澤
笠井さんの方からWFPのサーベイトリップとセミナーですかの報告を受けまして、ありがとうございました。
私たちが国際協力のストラテジーをたてるうえで参考になったと思います。私自身、山地民の成長をやってきていますので、そういうものとのからみでプログ
ラ
ムを考えるのが可能なのかなという思いつきですけど、感じたわけです。いろいろとご意見とかご質問があるんではないか思うんですけど、特にラオスのご経験
がある西嶋さんいかがですか?
西嶋
笠井先生がなんとかサイクルと言いましたよね。
笠井
ハンガーサイクルです.
西嶋
ハンガーサイクルを学校保健教育と連携して支援する事例があるわけですね。もう一つは,日本でも食育が拡充してきています.栄養学分野の先生方は食事教
育
支援プログラムを実施しています.食育なので,当然,日本学校保健学会がカバーしている方にもはいっていますよね。
まだ,食育関係者には知りあいは少ないですが、学校保健国際協力には食肉を重要視することも大事であると考えます.
先ほどごみ捨て場のところで,朝3時に起こされてと説明されたスライドですが.朝ごはんをあんなに大量に食べるのかと思いますね。日本では,朝ごはんを食
べてないのが健康教育上の大きな問題で、どう教育したらいいのが問題ですが.食料だけの現物支援プログラムに学校保健の教育技術を加えていく。もう一つ
は,女子の教育というのに注目している点が重要です.女の子を売っちゃだめだというのも同じサイクルのダイヤグラムに描けると思います。この問題を解決す
るには男の子からお父さんになるサイクルにもう一つのサイクルを加えてフィードバックすると効果的であると考えられます.同時に,学校保健教育の方もでき
るわけです。
大澤
たとえばWFPのようなことはとても僕らにはできないんですよね。僕らがなにかWFPとジョイントできるとすれば、一体なにかということを考えていいと
思
うんですね。たとえば僕らができるとすれば評価をしてあげるとかね、あとはもし将来的に学校栄養士とか食の教育の話がでましたけどそういった方面での協
力、栄養士の派遣ですか、まあいろいろあると思いますけど。
笠井
ちょっと私からよろしいですか? 私は昨年これに関して2回出張していました。先ほどの話は5月です。10月にチェンマイにおいて、さらなる会議が開か
れ
ました。その時にもう一度おさらいをした分が今のプレゼンテーションに含まれていました。チェンマイでのワークショップのなかにフィールドサーベーがあり
ました。実際に、食の教育をしつつ援助として子供たちが学校給食を食べている実際の学校を視察しました。それはチェンダオの学校ですが、そのときの報告書
がここにあります。WFPは学校保健のシステムにあまり詳しくないようです。そのために学校保健を埋めるのは私たちの役目のように感じました。日本の学校
保健分野でさまざまにおこなわれていることに関して、途上国にてシステムを構築していけるように支援できれば、西嶋先生がおっしゃったようなところは盛り
込めるのではないかと思います。今、ばらばらに動いていているように感じがします。
佐川
笠井さんが国際機関と連携して調査に行った話をしてくださったんですけれど、今回なん何でしたっけ、我々の1年間のあるいは当面の将来の計画に向けてこ
れ
を通じて経験をつうじて笠井さんがお持ちになったこんなプランでっていうのがどう使えるのか?
笠井
私もいろいろ考えたりしたのですが、すでに活動を続けている地域があります。しかし、そこで足りないものみえてくるんです。そこに人材派遣をしたり、そ
の
人材派遣するための教育をわれわれが担当して、中心になって問題を解決していくのが一番やりやすいと思います。例えば今、チェンダオの学校でどのような事
が行われていたか全然お話できないんですけど、これは皆さんがほとんどよく知っているタイの学校とよく似ています。それを考えると、タイでは一応学校保健
としての活動が多少行われてはいますが、まだまだ十分ではありませんので、そういうところのこう隙間を埋めていくというところ、あとその人材をみつけると
いう提案、それが大切だと思うんです。
大澤
僕が今、話をきいてもっとも僕らの視点から感じとってこれからある程度貢献できるんじゃないかと思うのは、評価の分野ですね。就学率が何パーセントから
何
パーセントになったかと、どれくらい痩せている子供たちにどれくらいのものを食べさせたらどうなったとか、どれくらいのまわりの環境が改善したかとか、ま
あそういったことでしょうね。それがほとんどなされないままに援助を行っているということです。援助の効果があるのかどうなのかということが非常に主観的
にしか行われないんですね。北朝鮮の問題でも結局は同じ問題に直面している。ですので、まずは我々の能力でできるところとしては、エバリュエーションをき
ちんとすることですね。それには、まずはオフィシャルスタテステックスがあるかどうかを検討する。なければ簡単なやり方でもいいから現地でサンプリング調
査をするということ、まあもちろん我々が取っているデータというのはそこに使えるわけですけども、もし仮に、カンボジアでもラオスでもですね、そういうこ
とをやることが出来れば、たとえば、皮下脂肪を計る、身長、体重を計る、というようなことから始めて、そしてWFPのような、まあ体系的な非常に大掛かり
な援助にジョイントすることができるんじゃないかと。もちろん我々が行かなくて、我々の代わりに、どなたかがですね、ラオスやカンボジア一帯の、教職員の
人たちがそういうことができるようになれば随分見通しがよくなる、つまりお金をあまりかけなくって援助の効率をあげる事ができるんではないかと、私はその
ように感じてます。
佐川
僕の感じたことなんですけどあの国際機関が援助しているというのはやっぱり点でしかやっていない、それ以外のところは対象外だというとこらが特徴的とい
う
ことで、今回その学校保健ということでできることの特徴的なことは学校の教育のシステムのなかにいれるということですべてのこどもたちに共通して必要なも
のはそういうことに力点をおくことが重要ではないかと。大澤先生が今いわれましたけど、お金がないから、あるいは沢山お金がかかるからできない、むずかし
いで、そうでなくて、なければみんなに必要なことをそれを見つけ出したい、制度化するということ。
笠井
すみません、今のことに対して佐川さんのお話しに対して補足したいことがあります。国民全体、子供全体にといっても、学校に行っていない子供たちが学校
に
行くようにWFPは食料を与えています。いい方は悪いですが、えさで釣っているような状態なんです。理想論はあっても、現実には就学率が低い、ドロップア
ウトが多いということでなかなかうまくいかずに非常に悪循環なんです。先ほど大澤先生のことに対して報告書にふれているので是非ご覧頂きたいと思います。
MEXT、WFP,ユネスコ、報道の現地調査報告の内容の4ページをご覧下さい。これは金田先生、川田さんと一緒に私も一緒に作った報告書です。4ペー
ジ
の4番目の協力連携、基礎的事項に関する調査及びデーター収集等に関する経験協力を使って正確な評価をするべきだと述べています。以上です。
(テープ3に続く)
テープ3
6.従来の経過とニコニコ財団のボランティア活動
大沢
簡潔にご説明します。資料を配布します。拠点システムの中では、規制のボランティア財団、ボランティア活動をやっているところとの連携ということも視野
に入れて、仕事をやってくれということです。アソウ先生が長いことボランティア基金をやってこられて、北タイでの活動状況につきまして、ご報告をいただき
たいと思います。
益本
実は私は、1980年代の初頭から北タイに興味がありまして、現地調査をやってたのですが、そこで見た子供たちの様子は先ほどこちらで写されたカンボジ
ア
とかラオスとかと、そういうのとほとんど変わりませんで、非常に貧しいなという感じがしました。そこでなんとか少しでも改善できないかなという気持ちで、
ボランティア活動を始めました。名称は非常に日本的なのですがニコニコボランティア基金です。基金の活動ということでございます。このパンフレットは、湘
北文化研究所というところから発行されました。そこに1987年から98年までの経過を述べてあります。それから運営の仕方や、問題点をここにまとめてい
ます。お時間があったらご覧ください。それと機関紙としまして、3ヶ月に1回「ニコニコボランティア通信」を1988年から発行しておりまして、これをお
回しいたします。今3ヶ月に1回の発行でして、平成15年6月で59号となります。59かける3を計算しますともう15年ということになります。
地域は北タイ、特にチェンマイ圏のサムン郡が中心になっています。この活動の動機というのは、先ほど申したように、80年代現地の小学生、中学生、特に
小
学生ですが、貧しくて学校にも行けない、食べるものも十分でないという子供たちも結構おりました。私たちが現地でお世話になるといいますか、調査研究させ
てもらうというだけでは、やはりなにかを返していかなくてはいけないなと、もちろん調査結果を学校等にご報告する、これは当然と思うのですがそれだけでな
くて、なにか方法がないかということで工夫したということでございます。
ニコニコボランティアの新聞でモノクロのがありますが、それが1号ですが、そこにどういう考え方でこの活動を運営するかということが書いてあります。これ
が今日まで続いております。当時私は企業におりまして、企業経営の方法を活動に入れていたわけですね。モノクロの新聞を見ていただくとわかりますが、この
活動の特徴は手作り草の根活動、それから現地の実情と要望に合わせた活動、継続的そして子供の成長に合わせた援助活動、それから当面はタイ北西部、北部を
対象とするという枠を定めて始めたわけですね。具体的には子供たちの栄養状態の向上を図る、学校施設の充実を図る。それから貧しくて学校に行けない子供た
ちの支援をする。制服とか教科書とかあるいは給食代とかを現金として出せない、そういう子は当時は学校に行けなかったわけで、そういう子供たちになんとか
援助をしたいと。さらにこれは大きいことなので現実的にはたいした成果はできなかったですが、仕事作りについてなんとかできないかなということで考えてス
タートしたわけです。
組織的には日本にまずボランティアグループをつくる、そして現地にボランティア組織をつくる。ふたつの組織体でそれがひとつになるような組織を構成して
あ
ります。1991年にはタイ政府から基金の許可をいただいで、現地の人々を中心に基金組織をつくりました。役員組織は、会長、副会長、事務局長そして委員
を若干名おいたわけですが、会長はタイ人でないといけないということで、当初は実のところ私が会長になって引っ張っていこうと思ったのですが副会長という
ことで、会長と事務局長は現地の先生、それから委員にサムン郡の初等教育事務所長それから中等教育事務所長、サムン郡は5地区ありますが、そこの小学校群
のグループ長、サムン中高等学校長が現地の役員組織ということで運営しています。役職固定もありますので、たとえばサムン郡の初等教育事務所長が転出しま
すと代わりに新しい方が役職のポストとして委員に入るということがあります。それと日本の組織なのですが先ほどでていましたが、ささやかな草の根組織で、
なるべくお金を掛けない、皆さんからのご寄付はなるべく現地に反映させたいということで、日本には一応事務局をつくってありますが、実際には私が最初の
10年は一人で運営してたんです。5年前から宇都宮さんがこういうことに関心があるということで現地の委員会で承認されまして、現在日本事務局は私と宇都
宮さん、それにあとサポーターが一人おりますが、その3人でやっております。日本のサポーターの皆さんがご寄付いただいたお金をタイにもっていきまして、
そこでいろいろなプロジェクトをするということでございます。
活動資金ですが、一つは91年に50万バーツでタイの基金を設立したんです。その利子で一つは運営していく。それと随時に寄付がいただけますので、それ
を
またプラスして運営してます。更に、中古衣料や送料などをお送り下さる方もいらっしゃいまして、それも現地の事務所に集めて、そして衣類の不足している地
域に配分していくという形をやっております。こういった運営は1年に1回年次総会を開いて、年間プロジェクトを各学校から事前に出させまして、その計画書
を検討して内容的にいいものについては、それに対して資金を配分する。その資金を使って増やした段階で消費,活用してもらう形にしてあります。ですから寄
付してもらったお金ををどんどん品物に代えて、ばあっとばらまくということをなるべく避けて、増やして使うという、工夫して、努力して、現地の人も働いて
もらう、日本人のご厚情を活用させていただくという形をとっています。年間プロジェクトは年次総会で検討していますが、緊急に発生したプロジェクトはどう
するかと言いますとそれは、三役会で検討して、随時予算をつけていく、使ってもらい、活動は年次総会で、総括してもらう。その議事録はタイの文部省に提出
するという形になっています。
今までやってきた活動はいろいろあるのですが、当初はやはり食料事情が悪かった、また学校に行けない子供たちがいた。そういう子供たちを対象にミルクと
か
野菜とか肉とか買って給食を賄ったりしておりました。それと平行して鶏とか魚とか、最初のころは山羊とかうさぎとかも飼ってみて、それを給食の糧にした
り、野菜、くだもの等の栽培もいたしました。また、種、苗、桑、魚を飼う池をつくる。それと水道、上水道、トイレなど、学校も二つ作りました。学用品など
も、必要に応じて準備しました。まあそういうことをずっとやってきたわけです。実は、余談になりますがこのプロジェクトを運営してきて、そして成功した方
々は、出世コースになっているのです。プロジェクトでうまくいくとやはりそれが業績になって、昇進されています。サムン郡の初等教育事務所長ポストから
は、現在、スタートの頃に尽力してくれた、コソンさんという方で、今、メエーホンソンの初等教育長になっています。そのあと次いでプシト・ポンタンという
方が初等教育事務所長だったのですが、その方は現在、チェンマイ県の副教育長になっています。それとノバドンさんという方が今、ずーと事務局長をやってく
れているのですが、これはチェンマイ市の校長会の一番上になっています。そのようにこの活動が注目されてまして、チェンマイのあちこちに行きますと、「う
ちの学校でもこれやりたいんです」と言われる。ある面では、知られすぎている部分もありまして、そんなに資金もないということもあるんですが、そういうこ
とで、実績が非常に細々ながらも継続的にやってきましたので、知られてきたと言うことです。
チェンマイというところは、北タイの中心であることは、皆さんご存知ですけど、そこでの活動はいろんな所に広まっていることが最近わかってきました。地域
の発展を願っているわけですが、実は派生的といいますか、我々の研究フィールドの確保といいますか、協力に非常に関連している。ですから私たちが学校でい
ろんな調査をしたいという時は非常にここが、この活動、そしてここから出た先輩にあたる教育長とか現在の所長とか、そういう人がいろいろ手配をしてくれ
て、現場での調査研究が非常にやり易いという側面も大いにあるということです。
援助なんですが当初、15年位前はタイ族そのものの援助だったわけです。最近はタイ族の皆さんは経済的にもかなり向上されて問題も少なくなって、現在は
山
地民がいろんな所にでてくる。例えば、サモン中高等学校に寄宿して勉強している。非常に貧しいんですね、またボッキャウよりもっと奥の分校なんかですと
ね。
フェンナンチャンとかメイランカムとかいろいろありますが、そういうところの分校は少数民族が多くてまだまだ栄養事情、教育環境的にも良くないので、そ
う
いうところを最近は重点的に、わずかな資金ですが回すように運営していきます。私はこのくらいで、最近の新聞としてはこのようなものができています。以上
ですが何かご質問がありましたら。
もう一つ54万バーツ基金があり、今年も増資する予定です。
大澤
どうもありがとうございました。ニコニコボランティアが私たちの調査に先んじて、北タイで大変ユニークな活動をしていて下さったということで、我々の調
査
も非常にうまく進めることができ、そういう意味では大変感謝をしております。今日先生には簡単ではありましたが,要領よく説明をいただきまして、その概要
がわかりました。タイ人は言うまでもなく、タンブンが好きでして、タンブンの思想というものを旨く制度化するとこういう形に一つになるのかなと言う感じも
いたしますし、原資をうまく、金融システムの中に乗せて、原資を減らさないで利子でもって運用していく。しかもかなり現場の教育にインセンティブがあるよ
うなやり方しているということで、非常に独創的な援助のやり方です。もっと日本のNGOがこれをまねしたほうがいいんじゃないかと思っています。またタイ
政府の正式な認可もいただいているということですので、いろんな意味で模範的なNGO活動ではないかと思います。
私たちのスクールヘルスの分野の援助協力というものと、ニコニコボランティア基金の活動とをどうやって結びつけていけるかなと、これは私たちにとっても
大
変重要な一つの考えの柱になる問題ではないかと思っています。ちなみにニコニコボランティア基金が活動している、フィールドの一部のヤンムン村とアンカイ
村というところで、私たちのアンケート調査やインタビュー調査をやらせていただいたんですけど、私たちがインタビューしたなかでは、コンドームの使用率と
いうのはほとんどゼロだったと思います。知ってはいるのですが、誰も使っていませんでした。今はどうなっているのかな。
例えば、アナマイに行けばただでもらえますので、おそらく村の売店で買うなんていうことは、ありえないのではないかと思います。アナマイでコンドームの
消
費量がある程度把握できるように、もしニコニコボランティア基金の仕事とエイズ教育をジョイントさせるとすると、アンカイやヤンムンでできるのかなとかと
思っています。
それと先ほどもう一つ重要な名前でフェイナムチャンという村がでていましたが、あれは少し前までは、けし畑で山一面おおわれていた地域らしくて、これは
数
字の上でも何件もの家がけしを栽培していたかということもわかりますし、それから薬中になっていたのが何人であるかということもわかるのですね。そういう
意味でも私たちは関心をもっていまして、ああいうところで、例えば、薬物乱用の教育だとかエイズの予防教育とか、ニコニコと一緒になにかやれれ、おそらく
現在でも随分けし畑はなくなっているのだと思いますけど、いろんな意味でこのプロジェクトにはっきりとした成果を検出できる地点の一つではないかと思って
いるのです。いずれにしてもどうやって協力できるかなと思って、先生にお入りいただいているのですが。
益本
ニコニコとこちらの共同でコンドーム調査はどうかなとおもうのだけど、調査をすることに対する協力とか理解は県単位とか郡単位の責任者にOKをもらえる
と思うのです。それで、アナマイに行けばいいと思います。
大澤
このフィールドは綾部さんのフィールドでもあるわけで、なにかご意見があれば
綾部
ニコニコの活動は昔からいろいろとうかがっていまして、タイのああいうところでよくシステムを根付かせたなと、社交辞令ではなく感心しています。実際タ
イの人々は貰い慣れしています。そのなかで、それほど多くない金額を流用させながら、うまく回転させていくインセンティブづくりが一番の成功の要因だと思
います。実際に本当の資金が今の段階で57万バーツで、実際この資金源が減っていくと多分運営資金も苦しくなっていくと思います。97年の経済危機以降、
利子ががたっと減りましたよね。そこからくる具体的な打撃はあったのでしょうか。
益本
それまで12.5%くらいあったのですが、97年以降安定的にはだいたい4〜5%に落ちました。そこで新しく考えたのは、資金の半分を教職員互助組織が
現地にありまして、そちらの貸し出しの方が利子が高いのです。でも全部そちらに移管すると、また心配がありまして、会議で本当に大丈夫かとよく聞いて、結
論から言うと半分をバンコク銀行、半分を教職員互助会みたいな所に預けて、少しでも高い利子を得たのです。それに随時サポーターが寄付をして下さいますの
でそれを足して、両方で今運営しています。
西嶋
カウンターパートの教育行政官が出世されているということは、それなりに行政目標が達成していたということがあると思う。農業生産、技術教育、健康教
育、身体づくり、そのような視点かと想像はできるのですが先生が観察された教育効果を伺いたい。
益本
直接的の回答になるかわかりませんが、ニコニコの活動で総会でいろいろなアイデアを学校毎に出させる、例えば、かえるを飼って増やして栄養にしたい。う
まくいくかなと他の学校は見ている。うまくいったらそれを真似する。5年前、10年前は魚を飼ってそれを昼食の副食にする。うまくいったところが手本に
なって、それをまねていくという形をとった。それより前のコスマ先生の時は集中型の活動をした。サムン郡の初等教育事務所の広い土地にバナナ園と山羊園を
作りました。そこで集中的に飼って、大きくなったのを分けた。それもいいのですが、管理上の問題も出てきて、今は分散型になった。いろいろな学校に計画を
出させて、予算を与えてそれをチェックする。成果発表会を、その中にも入れておきましたけど、ドイロウ、南の方にいった所にも随時資金を与えて、非常に積
極的な校長先生がいたら、成果発表会に来てもらって説明してもらいます。そういう意味では児童生徒の教育上の問題もあるけど、先生方あるいは、校長先生レ
ベルに対する刺激にも大いになったのでないか。
大澤
非常にいいやり方ですよね。何かに書かれたらいいのではないですかね。援助の仕方のひとつの成功例ですね。国と国の間でも経験の相互交流は20年も前に
ユネスコが言ってきたのですが現実にはきれいごとではうまくいかないことが多いのですが、先生のところはうまくいってますよね。
益本
実は1970年代から私は東南アジアが好きであちこち行っててODAとかNGOの良さと問題点をずーと見ていました。結論からいうとこういうやり方でな
いと、わーと援助しても、お金がなくなったり、日本人がいなくなったりして、すーと廃れるのをたくさん見ているのです。もう一つは現物をばーとばらまき、
それで満足してさっと帰ってしまう。一回鉛筆と消しゴムを配ったら、それでちびたが終わりになるとか、それではなくて、もっと継続的に、しかも現地の人も
動いてもらう、頭を働かせてもらう。そういうことがいいのかなと、この仕組みを考えました。
大澤
先生のフィールドのムアンレイで調査をさせていただいた時に、鶏小屋がありました。その脇に池があって稚魚を飼っていて、両方ともニコニコでやっている
の
ですよね。鶏小屋の方では卵が取れたら子供たちが食べ、鶏が糞をしたら隣の池の魚の餌になっている。無駄がない。
益本
それと夜電球つけて虫が来たら、魚の餌にすると
大澤
やはり、マニットさんのように、地元でもなんでもよく知っている、しかも動ける人が、村人や子供たちや先生のニーズをよく聞いて、そこに援助の手が伸び
ているのがいいですよね。
益本
今、おっしゃられましたけど、結局私一人ではできなかった。現地で問題意識を持ってて、動いてくれた人がいたからここまでこれたとおもいます。マニット
さんがそうだし、コソンとかプシトポンタンとかがいたからずっと続いたし、向こうもニコニコのをコピーして私たちがやりましたと、教育省に提出している。
そうするとランクがアップする。
大澤
僕たちがこれからやれる学校保健の国際協力でも、お役所的なしゃちほこばったやり方ではなくて、ニコニコ的な精神でやっていった方がいいと思います。と
いう意味で非常に勉強させてもらいました。昔、マルチラテラルコラボレーション、東南アジア医療情報センターで、仕事をやってた時に、話は先ほど笠井さん
が説明してくれたように、きれいに出来上がっているのですが、現実にその場に行ってみるとあの話は何だったんだろうと思うようなことばかりだったんです。
先生の話を聞いているとこういうのが援助の原点だと思ったんですね。
西嶋
さっき笠井さんのスライドに子供のドリームインツーリアリティーの絵で畑がありましたよね、日本の学校は良くできていますけど、農業高校以外は畑はない
し
農業高校のは実習場ですので、体育館のようなものです。生産できるフィールドを作るのを、このプロジェクトの視点から見て柱にしたらいいのではと思いま
す。この前、東チモールへスポーツ支援に行たんですが、その時ジャイカの人が沢山きていて、町中であまり働いていない、農業関係の人は、ちょっと奥に行
く、2週間たったら、オアシスに戻ってこなければ続かないと苦労されていて。身体作りをするために、健康教育の新しいやり方で学校に畑を作ってやっている
というニコニコ財団の話をしたら、それだったらどんどん来るという。楽だから、町中の学校が勤め先になります。現場でやる人を最近ターミネーターといって
いるらしいんですけど。
教育支援部隊として、今の農業技術支援部隊は別途、枠がありますので、今度新しい学校保健プロジェクトとして学校に畑を作って、僕のところも、笠井さんと
一緒で学校に行かない率が高い。学校にどうやってこさせるか、ちゃんときたえて、生産技術をもって、家へ帰られたら、お持ち帰り弁当以外にも、親からみた
らうちの子、卵を産ませるようになった、魚を育てるようになったというのが、一つついてくるのではないか。
益本
おっしゃるとおりで、サモンの中高等学校では、農業の先生がうちらの資金を持って、畑を作ってバナナ園を作って、魚、鶏小屋、きのこを作っている。昼は
それに調味料があればいい。少数民族の給食、食べられない子にそれを食べさせればいい。タイはご存知のように広い、太陽が強い、雨がたくさん降る。勿論乾
燥期もありますけど、それを活用しないのは全然意味がない。少数民族のリス族の皆さんも牛を飼って、3倍になってほくほくになり皆で分けたみたいです。小
学校の庭で、棒をつきさしておけば紐のところでやって、牛がそのうち大人になり、人工飼料とかいらなくて、なるべく現地の条件を活用して継続的にやってい
く。
佐川
一ついいですか。ニコニコの活動というのは、外部資金で学校環境を整えたのが特徴だと思う。そのことが結果として先生たちの意欲を高め、子供たちの活動
が豊かになったということなのでしょうが、そのことが教育プログラム、学習内容そのものを変えたという事例がニコニコ活動の中にありますか。
益本
多分あるとおもいます。僕はそこはあまり関心がなかったので、いろいろな報告書をもらったが「ああ、そうですか」といってそのままにしてありますが、多
分あります。ニコニコが組み込まれています。
大澤
例えば、山羊に餌をやるとか、乳を搾るという作業は学校の教育活動の中でやっているわけだから、当然組み込まれていなかったらできないのでは。
佐川
カラーの方の写真を見せていただくと、結局動物や野菜の生産ができる環境を外部資金でできるように、整えてあげることが給食を満たすことになって、下の
写真でいうと、食器を洗ったり、洗い場を完備することによって、どういうふうにしたら食器の衛生状態を保つことができるのか。学校ではきれいに食事ができ
る、家ではどうなのかということを学習しているならば、学校圏分野において、外部資金の環境整備が大きくプログラムを変えたといっていいのではないかと感
じました。
笠井
私がチェンダオの学校に行った時の話をします。ニコニコとよく似た支援活動がなされている学校だったのですが、視察後のミーティングの時に、ユネスコの
人にはわからなかったところがいろいろあったように感じました。ニコニコを知っている私からみると、豚・鶏を飼育し、食材にしたり売ったりして資金を得る
ことは、食糧の支援に加えて、食の教育という意味があると思う。さらに職業教育にもなっていたと思う。しかし、ユネスコや他の国からの参加者にはそのよう
に感じる人は少なく、子供に雑用をやらせているのではないかというふうに受け取っていました。すごく意外な発言でした。
益本
それは何人ですか。
笠井
参加者は30人ぐらいですが、批判的に受け取っていたように感じたのは白人系の方々です。そのような意見に私たち日本人は憤慨していました。このような
活動は教育プログラムの一環であることについて、ニコニコに携わっていらっしゃる先生方に説明いただければ、誤解を解消していただけるかなと思うんです
ね。
益本
多分10年くらい前から、そういうものが蓄積されていると思う。申し訳ないけど私は関心がなく、インプットの方でやっていたのでいずれパンフレットとか
あると思います。コウゾウさんだって文部省に報告しているし、皆さんやってますから。
大澤
一つ質問します。地域のお父さん、お母さんとの関係でお気づきのことはありますか。
益本
間接的になりますが、村ごとの小学校で牛・豚の飼育は子供だけでは手におえないので親が一緒に協力して飼育してくれるということはあります。
大澤
ニコニコボランティアの話をきいていると楽しいですよね。参加している子供たちも先生も皆楽しそうです。学校保健の分野でそんなに楽しくなれるだろう
かって。コンドーム使いなさいとか薬はやめなさいとか右側通行しなさいとか、そんなことばかり言うのはあまり楽しくないですよね。楽しくニコニコとできる
活動にできないか。
笠井
先ほどの話の中に短期間の飢餓を打破するというのがありましたが、お腹がすいたら勉強に集中できないという考えがあって、学校にいる間に集中して勉強さ
せるために食べさせるのは、すごく大事なこととされています。それも一つの役割であるということを言い忘れていたので補足します。
大澤
ニコニコボランティア基金の活動の中で古着を配るというのがありますよね。それは衣生活にかなりインパクトを与えてますよね。ボッケオの村の売店で売っ
ている服が売れなくなるかもしれませんが、衣生活に対して我々が差し上げている服によって何か変化があるのですか。
益本
あまり変化はわかりませんが、送られたものは活用されていて背中の模様は何だとか、知っていて日本から送られてきたものは活用されていることだけはあり
ます。現地の流通に悪い影響をあたえてるようにはみえない。なぜなら基本的に買えない人に配っているので。
大澤
まだ伺いたいことがたくさんあるのですが、まだ発言していないかたが3人いらっしゃいますがいかがですか。
国土
実際にこういうことをやっていくなかで、今まで15年近くなりますが実際学校の支援は何校くらいになりますか。
益本
1年に10校くらいですので延150校は越していると思います。
国土
その基金を支えている日本人のかたはどのくらいいますか。
益本
150人くらいです。この新聞を配っているのは常時150人。
家田
皆さんと同じようなことで、現地の人に参加してもってやっていることはすばらしい。私は大学の卒論をかいた時に大澤先生のアドバイスをいただいて、日本
の医療協力ということで書いたのですが、やはり「箱物」を作って、それで協力する側の人がいなくなると廃れてしまいもったいないと思うことがありました。
それが30年くらい前ですが、ニコニコボランティアがお金を無駄にしないで、このような形で効率的なやり方をどんどん広めているのは、とても感心していま
す。
下田
先日、6月24日の拠点セミナーに参加して感じたたことですが、大妻女子大学と並んで学芸大・お茶の水大、お茶の水大が幼児教育、皆さんこれから事業始
めていくのですが、現地の状況をこれから調べていくということで、まったく状況がわからないようです。ニコニコの活動、現地の情報をいただくのは、大妻女
子大学のこの研究はだいぶ進んでいるのかなと思いまして、これからも是非協力をいただければと思います。
大澤
拠点になっている他の大学の説明をきいたのですが、我々の感覚からすれば入口にたっているくらいですね。それからいうと私たちはずっと先まできている。
文科省にとっては形式的には出発点からやってくくれということで今やっています。学士留学とかでこれから私が大学に入ることもできるわけですから。先生に
は本当にお世話になりまして、これからもさらにお世話になると思いますので、どうぞご助言、ご支援たまわりたいと思います。
休憩 ( 雑談 )
7.タイにおける学校健診の実状
大澤
学校健診について私の方からご報告いたします。
2つ皆さんのお手元に資料があります。2枚の方は厚生科学研究費の分担研究者として保健統計システムの研究に参加しまして、それのサマリーです。もう1つ
の方も厚生科学研の分担研究報告書ですが、こちらの方は健康診断が入ってます。健診と医療統計は表裏一体の関係にありますので、両方かいつまんでご報告し
ます。
保健医療システムの信頼性と改善に関する研究課題を立てまして、問題の所在ということで、特にタイを取り上げてその信頼性と改善について研究をしまし
た。タイの統計は20年前には人口登録が70〜80%程度の水準でした。つまり20〜30%は登録もれをしているということです。その後次第に改善されま
して、統計システムも現在ではだいぶ整っている。東アジアではシンガポール、マレーシア、タイという順番ではないかとおもいます。また近年では、内務省が
中心になって2001年を1つの完成目標としたコンピュータネットワーク化を契機にしまして、統計情報の改善も進んでいます。従って現在ではタイの国の外
から、日本からもインターネットを介して統計を知ることができる。しかしこのような進歩と並んで未だにいくつかの点では改善が待たれる問題も残っていま
す。今回の調査研究に当たって検討し、いくつか諸点を指摘していきたいと思います。また特に統計データ−の重複とデーター間の矛盾についてもお話をした
い。
統計の重複と信頼性について、タイ国は建国以来強力な中央集権的行政制度を維持しています。統計につきましても、中央政府が強い権限と予算・人材を独占
し
ています。統計の集中型といってますが、対する分散型がありますが、集中型の統計システムをもっていまして、ナショナル・スタティスティクスオフィスと
NSOといいますがそれが中心の組織になっています。そこを中心にして各省庁が並列的に統計システムを運営する。例えば、保健省は保健省、教育庁は教育庁
で独自に運営しているのですが、最終的にはNSOが全部、法律上も予算上も人間も肝心なところは全部管理している。このようなやり方です。最近はだいたい
世界中がこういう傾向になっている。
これはどこでもこうなっているがそれでも様々な矛盾が省庁間でおこっている。例えば内務省、NSO、モフといってますが、我々は保健省と訳していますが
こ
のMOIとNSOとMOPHの3つの統計だけをみていくと随分と重複があります。全部読み上げませんが、例えば婚姻と離婚につきましては、家屋世帯調査を
MOIでやってますが、似たようなのが例えばNSOでもやっている。MOIとNSOは似たような組織ですが少しずつニュアンスの違った統計をとっている。
そういったことが、それ以下の薬物や交通事故やペイシェイントサーベーや障害者サーベー、健康意識調査、栄養調査、喫煙調査等々でも起きているということ
です。
つまり1つの項目を複数の官庁、統計担当局が別々にとって、それがそれぞれに違っていることが起こっている。大昔は医師の数すらも同じ省庁の中の部局が
違
うと報告も違うという矛盾が起きている。さすがにそれはなくなりましたが、省庁の違いによる矛盾が常に起こっている。これがタイの健康状況を把握する上で
の問題点になってきますが、ご存知のようにタイは官庁間のセクショナリズムが強いわけで、例えば、教育に関する統計は6つの官庁にわかれます。細かくいえ
ば13にも分かれるともいえます。非常に煩雑です。ですからそれを統一してきれいな統計に製表することは非常に難しい。まして国際間の比較をすると更に難
しくなる。
それと次の点ですが、コンピュータネットワーク化と現場の関係の問題があります。先ほどもいいましたようにタイはNSOを中心にして集中型の統計制度を
持ってますけど、と同時に並列的に保健省が独立の統計をとっている。しかし人口動態統計に関しては保健省がNSOに基本的にはデータを送っている。ですか
らそこは重複している。それをさらに合理化にしようということで、コンピュータネットワーク化を図っていて、現在2003年では完全にコンピュータネット
ワーク化が完成しているレベルになっています。それですべてめでたしめでたしかというと例えば内務省が関係するところはそうなのですけど、ちょっとずれて
保健省が担当している統計になると、今度はいっきにネットワーク外にありますから、そこのところは手でやらなくてはいけないということになります。例え
ば、具体的には村のアナマイを考えた場合に人口動態に関する部分はネットワークに入るのですが、一人一人の村人の健康状態に関するデータ−はネットワーク
に入らない。そういうシステム上の整合性がないので、これからとっていかないといけない。
それからネットワーク化を進めさせるには、どうしても電化していて、しかも電話線もいってなければならないですが、例えばご存知のようにボッケオのアナ
マ
イには電話はない。電話がないところにどうやってネットワーク化するのか、肝心なことを内務省は考えているようには思えない。そこではコンピュータに打ち
込んだデータはアナマイの係員が1時間半か2時間、バイクやピックアップトラックに乗ってサムン郡までフロッピーディスクを持っていく、フロッピーディス
クが壊れてでなくなった時はハードディスクに入れて持っていったという話ですが。たぶん内務省の本省ではそんなことがおこっているとは思っていなくて、瞬
時のうちにデータがパッとボッケオからサムン、サムンからチェンマイ、チェンマイからバンコクに送ってくるんだと、こういうようなシェーマで我々に説明を
するわけです。
それからもう1つはコンピュータネットワーク化して全部電子化された時に起こってくる問題として、係員や係員の下で働く人達がいわゆるファーストハンド
の
統計資料で、どこの部落、どこの家がどうなっているかという情報をすぐに取り出せなくなる状況が事実、報告されている。ネットワーク化はいいのですが従来
と違って紙に書いてない。紙に書いてないから現場の作業員がいちいちコンピュータを動かせる人に頼んで出してもらわなくてはいけない。その人がいなければ
お手上げになる。ファーストハンドのデータがない。さらにアナマイの中心人物さえ、統計の集計結果はみな郡にあげてしまうのでアナマイの集計結果がアナマ
イになくなってきつつある。そういう意味でもファーストハンドのデータ−がないのでコミュニティーレベルというかグラスルーツレベルの保健活動には大変不
都合が生じている。これは初期症状なのだと思いますが、いろんなところでコンピュータネットワーク化の問題がでているということです。
第3点ですが計画手法と統計の関係です。統計は基本的に計画をたてるために統計をとるわけですが、実際統計を取ってもそれをヘルスプランニングに応用す
る能力がないというか、ノウハウ、スキルがない。ただデータをとっているだけということになりがちである。これは中央政府の役人も非常に強く、そういうと
ころの援助をしてもらいたいといっている。
4番目の話として、山地民と統計の問題です。山地民の方々は国境があるようなないようなそれを越えてたえず流出入する人々ですので、その人たちの人数を
数えるのは難しいですし、更に健康状態の把握ということになるとさらに難しくなる。これは最後まで残る問題です。先ほど益本先生がご指摘されたように最後
のところでは山地民の研究が非常に重要になってくると思っています。勿論われわれが長年やっています子供の発育、栄養状態の評価に関してもデータがないの
で話にならない。
その次の話題に移ります。先ほど話しましたことは、もともとは健康診断やヘルスサーベーの結果をどうやって集計し、報告し、行動するかというレベルの話
で
した。今度は健康評価をどうしているかというもっと下のレベルの話です。特に学校保健のなかでの健康診断のシステムについて調べたわけです。研究要旨のと
ころにかいつまんで書いてありますのでまずこちらからみます。
タイの学校健康診断制度の状況を調査しました。笠井さん、下田さん、綾部さんにも大変お世話になっています。まずタイ国において行うべく策定されている
健
康診断の方法と項目を明らかにし、次いで北タイのチェンマイを例にとって都市大規模校、都市中規模校、都市小規模校、郡部大規模校、郡部中規模校、郡部小
規模校そして福祉学校のうちから代表校を選び健康診断の実態を調査しました。実際には策定された健康診断項目は学校の立場に依存して非常に融通に富んだ弾
力的な運用がなされています。健康診断を行う人・金・場所・方法・項目・データ−いずれもが学校によって異なっていました。状況対応型の健診システムとい
えます。また受益者負担を原則とするシステムもあるわけです。一律制、恒常性を旨とするわが国の健康診断システムとは制度的に大きく異なるということがい
えます。
一番最後の紙を見てもらいます。これは笠井さんに訳してもらったのですが、タイにおける学校健康診断の項目です。これは3つにわかれています。児童・生
徒
健康記録カード、これは記録者の属性とか家族の属性。メディカルヒストリーであります。それからグロウス関係のデータ、それから一番下に視力・聴力の記録
があり、その下には6月と12月の健康診断をやったと仮定した時の様々な記録項目が並んでいます。一番上は歯肉炎・歯周疾患・う蝕等です。その下は免疫促
進と書いてありますが、予防接種です。それとBCG、三種混合、ポリオ・はしか・ジフテリア・腸チフス・風疹・テタヌスその他となっています。一番下に書
いてあるのは、指導員が気づいたことを何か書けということです。右の表は公衆衛生職員、英語ではメディカルアシスタントといってますが、アナマイから来る
職員がこれに記録するようになっています。年月日を表頭に書き、表側には学年等々を、皮膚・骨その他特記事項と検査がずらっと並んでまして、細かい四角の
中に正常か異常を書けということですが、細かくて書きづらいですね。原寸のカードはA4版だと思います。長いリーガルサイズですね。文房具屋で売ってま
す。1バーツくらいで。しかし実際、これには書いてない。聞けばやってますと、教育庁や教育委員会、正式の施設を尋ねて行き質問すれば、あれを見せられて
やってますといわれますが、実際に学校に行ってみたらよほどちゃんとしたところでもやってません。唯一やってたところは一つありましたが、他はほとんど
やってませんでした。
調査結果について申し上げます。244ページを簡単に読みます。まず2.調査結果の内容、都市大規模校、これはご存知のチャラート先生が副校長やっている
ユッポラです。人材は2人の係員で、一人は正式のスクールナースで是非共同研究をやりたいといってました。健康診断に必要なものは全部揃っています。身長
と体重を入れると自動的に肥満度を計算し、端数単位も計算する。タイで考えられる最高のレベルで、日本のおそらく筑波大学の付属中学よりレベルが高く、先
生の質も同じかそれ以上かもしれない。総合病院で相当やってたナースがいて、お金も潤沢にあります。基本的には受益者負担で生徒からお金を取ってるわけで
す。他の学校ではとてもこの真似はできない。学校のサイズは3000人ちょっとで、元々は王族方が建てたとか援助したとかで、チェンマイでは最も名門中の
名門です。
表1の項目は医者で、有名な病院から来まして1項目いくら、一人いくらと有料で担当しているようです。独自の健康診断統計を作ってます。それを見せても
ら
いました。これはチャラートさんや校長先生に報告をし、そこからまた先生に戻ってくる。障害保険も実際やってまして、このように整っている学校もある。
次が都市の中規模校です。そこは看護婦さんがいませんので、保健の先生が実際は保健の先生ではなくトレーニングを受けた先生で、そのトレーニングも病院
に
2週間くらい行ってトレーニングをうけるということだったと思います。健康診断は地区の保健所の職員がきて、おこなっているということでした。急患だとか
健康診断の利用者はポンピンホスピタルに任せて、直ぐに運んでしまう。同じようにアナマイから来て診てもらっている。後でわかったことですが、歯医者がい
るというのは嘘でして、日本でいうと歯科衛生士に該当する人が
(テープ4に続く)
テープ4
行っていますが、評価値そのものはマヒドンのソマッサンで作ったのを使っている。基本的に国連バージョンを使っている。面白かったのは、眼科健診を眼鏡屋
に任せている。バンコクから車で来て、近点検査までやっている。日本の健康診断より進んでいる。ちゃっかりしていて、少しでも眼が悪いと眼鏡会社で眼鏡を
作らなければならない。タイらしいです。学校保健会の健康診断委員会で大笑いでした。しかし、非常に細かいところまでやっている。できるだけ眼鏡をかけさ
せたいから検査基準も厳しくなる。
次は小規模校ですが、これは実はチェンマイの郊外のワットンチャンで、看護婦はいません。トレーニングを受けた一般教師がいまして、これは先ほどいった
とおりです。その方に綾部さんを通じて面接をしました。かいつまんでいいますと、健康診断は地区の保健所の職員が1年に2回くらい来て診ます。急患と健診
の異常者はチェンマイ市内の病院や軍の病院に送ってしまう。歯医者も同じです。先ほどと同じように、アナマイから歯科衛生士が来て診ています。保険には
入ってませんので、もし事故があった場合は実費で支払う。不安定です。薬代はワッドンチャンでは無料で政府から受けている。発育評価と肥満評価の標準値は
保健省のを使っている。マヒドンのと値とは少し違う。いずれも根拠は明解ではない。眼科の健診はナコンパトムのボランティア財団がきまして、その人たちが
やってくれる。眼鏡を作る場合は眼鏡会社ではなくて、そのボランティア財団が無料でやってくれる。
以上、都市の3校を比較しても、やり方もまったく違う。保険の入り方や費用負担もまったく違う。わが国の学校保健法に基づいて何かをやるのではまったく
ない。各学校がそれぞればらばらのやり方をしている。これは我々には驚きでした。
4番の郡部の大規模校はこれはサムーンピタヤコムです。看護婦はいません。一般教師と生徒の2人の保健委員がいれば対応する。いなければ対応しない。ち
な
みにメインの木造校舎の便所の数メーター先の右側のかなり汚い部屋で、ベットが1つしかない。健診はその隣のアンプーアナマイの保健所員が来ておこなって
くれます。急患とか健診の異常者は隣が病院ですので、行くということです。しかし医者はあのサムーン郡全体で1人しかいないのはご存知だと思います。これ
も大きな問題で、タイは医師は管理者でよほど重篤な患者を診るだけで、看護婦がほとんど日本の医者と同じことをやっている。勿論看護婦も死亡診断書を書け
るわけですから、日本の医者はタイの看護婦とほとんどやっていることは法律的にも同じですね。ある意味では。
歯科健診はさきほどと同じように歯科衛生士が来て行なっている。ボッケオの場合も同じです。治療は保健所に行けば毎週金曜日にやってくれる。はたしてこ
れ
がデンティストなのかどうか。多分違うと思う。保険には入っていない。薬は無料。この学校は薬は無料、この学校は有料、あるいは勝手にやりなさいと。なに
か基準があると思う。これは教育省に行って聞かないと分からないかもしれない。先生方はなんでかはわかりませんでした。発育評価と肥満評価は標準値として
保健省のものを使っている。眼鏡は無料。
郡部の小規模、これはボッケオ小学校で、病院から遠いのでボッケオの保健所に依存している。ボッケオの小学校はほとんどアナマイ任せで治療もあそこにいる
女の子がやっているそうです。「どういう治療ですか」と聞いたら、僕らが考える限りでは歯科治療というよりかちょっとした手当て。抜歯をする、歯を削った
りは一切しない。清掃してあまりに痛ければそこに薬をぬるという歯科衛生士の仕事に限りなく近い。
最後に福祉学校で、チェンマイです。看護婦が1人常駐している。保健室は独立した建物で、訪問して聞いた中ではきちんとした体制になっている。むしろ福
祉
学校の方がきちっとしている。僕らは貧しい子供たちを預かっているという印象がありました。だからゆえにきちんとしているのかもしれない。ちなみにメイア
イのエイズ孤児を扱っている学校もこういう感じです。多分ファンドが違うだろうと思う。公共福祉局の方からファンドがでているからこうなっていると思う。
健康診断は地区の保健所の職員が来て行なっている。急患や健診の異常者は公立の大病院、多分ポンピンホスピタルだと思いますが、任かせている。傷害保険と
か薬代は保険に入っているけど無料です。発育評価と肥満評価は別々に行っていて、標準値は保健省のものを使っている。
眼科の健診はこれも眼鏡会社のサービスに任せている。眼鏡を作る場合はこの会社にも任せるということです。多分補助がでているのではと想像する。簡単な
統
計を作って校長に報告している。
結論としては北タイの学校健康診断は学校長の裁量に依存して、非常に融通に富んだ弾力的に運用がなされている。健康診断を行なう人、お金、場所、方法、
項
目、データの扱い、いずれも学校によって大きく異なっていて、状況対応型です。また受益者負担を原則とするシステムでわが国の制度とは大きく違う。それな
りにちゃんとやろうとしている。学校保健管理という観点からの国際協力をやろうとすると、何ができるかということになります。これから考えていきたいと思
います。
家田
ここに傷害保険という言葉がでてくるのですがこの傷害保険は健康保険のようなものなのか特に怪我だけのものか。
綾部
細かくは聞いてないので、よく覚えていません。
笠井
両方です。
実は今そういうタイプのがいくつもでている。
大澤
民間の自由加入で、傷害も病気も両方でます。
家田
民間の日本の生命保険みたいのですか。
大澤
お金のある学校は独自に入れる。おそらくバラバラだと思う。
益本
それともう一つ給食のことを調べたのがありますがそれもバラバラです。学校によってやり方がお金を取る取らないと、それは結局タイはまだ所得水準が消費
水準が高くなく、貧乏からお金持ちまでバラバラある。学校によって、また学校の中の生徒や父兄も生活水準がバラバラ。地域も含めて、だから一律に政府がこ
れしなさいといっても、飾りの指示であって、最後はその学校の運営でできる範囲でやる話になる。それもこれと似ている気がする。
大澤
ニコニコみたいに1つの拠点でうまくいったら、似ているところに経験を伝達していくのが実際にはあっている。
綾部
このことの直接的な補足ではないですが、先生がおっしゃったように多様だということが1つにはタイが途上国ならではの度重なる省庁改変と法律改正を繰り
返してきたことと関連すると思うんです。たとえば、憲法だけをとっても戦後の基本的改正だけで16回です。省庁もころころ変わって、外務省がだいぶ前に労
働社会福祉省から分かれていって昨年の10月に労働社会福祉省自体が解体し、これまでの山地民統計を一部になっていた山地民研究所もそれに伴って解体され
る。それにこちらが意識や知識を追いつかせていくのは大変だなというのが、率直な実感です。おそらく、同じような状況が学校保健の分野にも反映されている
のですから、確かに先生がおっしゃったようにそういう認識から入っていかないと、効率的協力はできないという気がします。
大澤
健康診断は特に制度そのものにからんでくる。法律、届出、制度、地域の医療資源とも密接な関係がある。これを学校保健の中で取り上げるのは今回はかなり
難しい気がします。
綾部
ただ、どこが最も効率的な協力を行える地域かは、ある程度研究によって同定する必要がある。
大澤
ユッパラーみたいな学校では我々が協力をあまりすることはない。ボッケオみたいなところだったら充分ある。
笠井
今、ユッパラーを思い出していたのですが、所得にものすごくばらつきがあって、ユッパラーはタイの中でも先進国と同じような悩みをもっている学校みたい
です。昼間カップラーメンを食べて、お菓子食べておしまいという肥満した子がすごく多く、日本ではどうしているのですかという質問を受けた。もし先進国と
同じ状況のところに援助をするならば、まさに日本でやっていることをそのままもっていくことになるでしょう。ボッケオのように山岳地域の少数民族であれば
途上国そのものの考えで援助をする。大きく見ると2つの局面で学校保健を支援することになると思う。バラエティにあわせて支援の仕方を考えないと。どっち
がよいのか。
大澤
結論から言えば、健康診断のところで我々が何かできるとすればやはり健康診断に関する統計だと思う。統計の作り方と活用の仕方、お金もあまりかけない、
人を何人か現地の人を養成すれば役に立つのではないか。学校保健統計は日本のはいいとは思わないが、現地で学校保健統計を作る。客観的指標がないところで
あれこれ議論していてもしょうがない。
しかし、ユッパラーの統計を見せてくれといってもない。なんとかもらってきたが数字がちゃんと入ってない。コンピューター屋さんが作った出力紙で、自分
た
ちがどういうものが欲しいかは反映してない。保健統計の指導は有効。
学校保健の協力で、まったく保健管理についてしないのではなく、するとしたら、そういう指導の仕方、援助の仕方がいいのでは。もしポンピンホスピタルに
行くのをやめろとかはいえないし、法律をこうしろとか、内政干渉になってしまうのでいえない。だから健康診断はがんばらなくていいのではと思っている。一
応、国からは日本の学校保健をおさらいしてくれといわれてます。健康診断に関するおさらいは簡単にできる。わが国が頭じらみから健康診断が始まるが今の生
活習慣病まできたわけだが、その歴史をさっと、多分、タイも肥満とか生活習慣の問題もでてますので、きっとこうなるだろうというところまではもっていける
だろう。
佐川
今回、我々でプランを立てるターゲットは小学校と考えればいいのですか。
大澤
小・中・高ですね
綾部
もっと上のレベルから切り込でいくのは可能なのですか。例えば文科省ベースの協力ですから、ある意味その名前を使って、先生が媒介となってタイの保健
省、教育省、もっと上の人たちの折衝協力のもとに、健康診断体制そのものを立て直す助言をしたりとかは。
大澤
健康診断はどうかわかりませんが、それは可能です。学習指導要領がどうなっているかという話ですね。それは可能です。他の国ではみんなそうやっている。
インドネシアの教育省、フィリピンの教育省とやっている。ガバメントベースでみなやっている。文科省はそう考えている。しかし、個人的には上からやるのは
あまり好きではないですね。
佐川
それは草の根、地域レベルの研究者が根っこに入っていった経験がないのでお互いやるとしたら国対国の話として進んでいくしかなっかったんではないか。今
までは。
大澤
勿論そうです。でも可能は可能です。
佐川
草の根を知っている人間ならではの助言を上の方でやる。
大澤
それはそうです。教育省の次官とか局長クラスとやり取りして、段々降りてったほうが仕事がやり易いかもしれない。最後サムーンに行く。僕が3年前に出張
した時に日本とタイの交渉だったが下までおりていきたいと言って、まずは、バンコクで保健省と労働福祉省に行った。次にどこへ行きたいのかと言われ、チェ
ンマイ県に行きたい。その次はサムーン郡に行きたい、その次はヤンムン村に行きたいと書いた。そうしたら非常に不思議がっていた。チェンマイ県まではいい
けどその先はなんなんだと、そして本省の役人がチェンマイ県までついて来るという。一人で行けるからといった。チェンマイ県に行ってそこで、郡までいくの
はどうしてなんだと言うから、大丈夫だと言っても、県の職員がサムーンの保健所までついてくるという。不安だといって。あなたより回数は行ってると言っ
て、同じことを繰り返しヤンムン村まで行ったのですが。
佐川
下の人間がよけいなことを言わないかというからではなくてですか。
大澤
僕が行けないのではないかと。電話をかけて公用車で全部やるからといわれたが、いいといったんです。
佐川
もう1点いいですか。最初の方の話で、人材を養成するということが1つのポイントと考えるなら、どこの部局と連携するのが効率がいいのか考えなくてはい
けないです。綾部さんが言うように、国の制度的なものならすごく大掛かりになってしまうが、でも突然サムーンにいって指導して終わりというわけもいかな
い。その辺をどう考えるか。
大澤
ナショナルレベルでいくか、教育管区レベルでやるのか、スーパーバイザーの、ウィライラックさんやシティホンみたいな人たちのレベルでやっていくのか。
それともそこから降りていってサムーンに行くのかという議論です。ナショナルレベルでやるのは一番簡単でやり易いが、なかなか抽象的で効果が出てこない。
一応話はして。あまり大規模でもダメだし、ミクロでもダメなら、ウィライラックさんレベルのところでやればいいかなと考えた。これは皆で議論したい。例え
ば日本から将来、人を派遣するとその人たちが各市町村や学校を回って、シティホンさんと一緒に指導してまわる。そういうことであれば、指導主事を派遣する
形になるが、それがよいかなとも思う。人数が少なくてすむ。一番グラスルーツになったらヤンムン村もアンカイ村もオムロン村も全部一人ずつは無理です。何
千人になってしまうので。
佐川
もう1点いいですか。今聞きながら思ったことは、12の教育管区事務所をみていると学校保健の専門の担当官はいない。教科がないから、アラアナマイのス
イトポンタンたちがいるところは、体育と保健がくっついていて、その人たちはスクールナースとの関係がどうなっているのかすごく曖昧に思っている。
大澤
保健の教科の指導だけですよね。
佐川
どっちにリンクしてどうしていくのかもう少し見えてこない。
大澤
調べてみないとわからないが昔ウボンでチャナロンさんが手伝ってくれた。彼は担当は保健教育だけで、健康診断や学校環境衛生は別です。そういう概念はな
い。
佐川
専門職はほとんどいない、別の教科の先生が担当を兼ねてるのが大半です。
大澤
看護婦さんがいて、いっきにそちらにいってしまう。日本が考えている学校保健のシステムとは全然違う。
佐川
本省にもないのですか学校保健課みたいなのが。
大澤
あります。残念ながら教育省に行ってない。健康教育課は勿論あります。
佐川
一つの目標として、そういうポジションがいることを主張しすることは、12人を送るというプランですよね。
大澤
人をおくるのは再来年くらいだから。
佐川
綾部さんが言うようにタイは組織改革が得意だからこういうポジションをつくれということはできるかもしれない。
大澤
家田先生が講師になって2週間くらいバンコクでやるのは容易に想像できる。今日はここまでで、明日に。
(テープ6に続く)
テープ6(テープ4の続きです)
タイにおける学校環境衛生
大澤
本日は、学校管理衛生以下体力測定までを約2時間くらいで発表、ご報告してもらいたいです。その後、本年度の授業計画をどういうふうに詰めていくかを話
し合います。その後、本年のプロジェクトに直接的には関係ありませんが、間接的には多いに関係のあるタイの調査について2,3打ちあわせしたいと思いま
す。
佐川
タイにおける学校環境衛生について報告をします。1983年からタイに出かけて学校を中心に様々な調査をしてきました。その中で学校環境衛生に関わるよう
な項目を継続的に、実施してきたわけではないが、何回か学校環境衛生に関わる調査をいたしました。そこでの成果から今回最初ですので、思いつくままにいく
つか、書き出してみました。充分な時間を掛けて整理をしたわけではないので、まだまだ抜けているところがあるかと思います。いくつか整理してお話したいと
思います。
まず資料の一番上ですが、これまで学校環境衛生調査に取り組んできたもので、1986年の3月に調査をいたしました。この時は飲料水、室内照度、騒音、気
温、気湿を調査しました。この成果にについては、大澤さん、高橋さんの2人による教育環境研究ということで、学校保健研究に報告されましたし、筑波大学の
東南アジア研究会の第3次東北タイ学童調査の学童健康調査報告書の中に整理されてます。後で紹介します。1997年の12月にウボン、チェンマイ、リーで
調査をいたしました。この時に飲料水の調査をしております。これは、国土、佐川、猪迫によるタイ国東北部、北部の水源、供給ならびに水質からみた学校環境
衛生ということで、報告をしています。記憶の中ではこの他にも、大腸菌検査をした記憶がありますが、いつだったか、成果がどうだったかは記憶が定かではな
いのでここでは報告しておりません。それらを調査した中からどういったことがわかって、どういったことが今回の課題になりうるのか。メモですが報告してい
きたい。
まず、飲料水調査です。3つほど書かきましたが、調査当初はとても水道がある状態ではなかった。東北タイでは雨水による飲み水でしたが、最近は農村部の
学校でも簡易水道、聞き取りによれば、塩素で消毒しているようです。簡易水道が普及して水道の蛇口から飲める水が出てくるようになった状況です。それから
これまでの調査でポラリスの冷水機の中で、大腸菌感染が見つかったということが、我々の調査でもわかっております。最近は農村部でも冷蔵庫が普及してまい
りまして、冷蔵庫の中は水ばかりですが、水が大腸菌感染してくる危険性があるのではないかと思っています。飲料水調査について国土先生にフォローをお願い
します。
国土
今回の資料で論文になったのがありまして、細かいデーターが掲載されてます。46ページを開けてください。どのような形で水が供給されているかでていま
す。町中は簡易水道施設で、簡易水道等完備されているという現状にあります。多くの場合、学校では飲料水はフィルターを使って、水をろ過して使っているの
が主流です。途中塩素投入しているかどうか聞いてもわからないというところもありますが、フィルターを利用しているところは時々フィルターの中で、大腸菌
が繁殖していることがあるようです。例えばチェンダオウエルフェアースクールでは食器洗い用の水は2重ろ過して供給しているので、大腸菌はでていない。で
も3重ろ過し、飲んでよい水が大腸菌汚染している。飲んではいけない水をはかったが大腸菌はでていたがさほどひどくなかった。ウオータークーラーの写真、
これは小型ですがこの上についているのが学校では横に6つ、7つ連なっているところから水を飲んでいる。田舎の方に行きますとドンクラン小学校は井戸もな
い。天水を飲んでいる。瓶に入れて飲んでいる。こういうところは、ちょっと放置されていると衛生的によくない場合もある。
次のページを見て下さい。水道の水質検査をしましたが、おおむね良好です。時々混ざり物がある場合もあります。たとえばナカセツク中等学校は混入物がお
おいようです。時々環境基準を超えているのもあります。しかし以前に比べると、良いのではと思います。
52ページをご覧下さい。以前は学校でも井戸から直接水が飲めたけど、写真にありますような貯蔵タンクは下の方が雨水の貯蔵タンクで、上のところに丸く2
つ見えますのは、井戸から一度汲んだ水を用水にして簡易水道に使うタンクです。この方法による簡易水道が、急速に普及していると思われます。今後、このよ
うな観点を含めて水の管理の仕方を見ていきたいと思います。
佐川
ありがとうございました。国土先生が報告してくれた44ページの資料は97年の12月に調査した水質の結果です。それとコピーした2枚目は1986年の
調査の水質の分析結果を示してあります。これは先ほど申しました、大澤、高橋による東北タイにおける教育環境研究のものです。水質についてはそのような成
果がでています。
2番目は室内照度です。読ませていただきますが、木造校舎では窓際とそれ以外で机上照度の激しい差が見られました。最近建築されるコンクリート校舎は壁が
白く塗られるので従来のような極端な暗さはなくなりつつあると思います。資料を用意しました。室内照度の測定結果ですが、1986年3月にベンジャマハラ
中等学校で調査したものです。例えば、一番上は体育館ですが、その下の木造を見ていただければわかりますが、窓際では照度が2450ルクスですが真ん中に
移動すると700という、大変大きな差があるという特徴がありました。このように極端な照度の差をどのように修正するのが大きな課題です。
2番目ですが黒板の照度が暗いのがわかりました。これは?マークをつけましたが、タイでは校舎を建てる時に黒板を明るくする発想がないのでは、まだ確認し
てないので?マークをつけました。先ほどみていただいた調査結果でも2のところでは黒板の照度が460、3では900です。もう少し高いのがいいのかなと
考えます。教室内の電灯は、日本では今日のこの会議室には全部で16本の電球がつくようになっていますが、とてもこのようにたくさんの蛍光灯が配置されて
いないばかりか配置されていても電球がないところが結構あります。最近では少しずつ改善されてきたと理解しておりますが、電球を入れるにしても数が少な
い。その質を高めていくのが必要かなと思います。配置数の問題、電球があっても、足りないという、そういう問題です。
次に騒音の問題です。騒音については1986年の調査結果をコピーしています。3つメモをいたしましたが、教室数の不足する学校では充分な仕切りがなく、
隣の声がよく聞こえるという、学級数が増えるということでは1階部分がオープンになってる階下の部分に仮設の教室を作って、授業をしているところが見られ
ました。そういうところでは声は筒抜けでした。もともとタイは暑いところですので風通しをよくすることが教室環境では重要なポイントです。騒音ということ
では多少考慮する必要があるのかなと思います。いつもうるさいわけではないので、ある時うるさくなったり、静かになったりですので、学校で配慮すれば問題
はないと思います。
学校でもそうですが、町でもタイの音響装置はどこもうるさいのが驚くばかりです。大きいことはいいことだという感じがしますが、音を小さくする配慮が必要
だと思います。音を小さくする気がないようなので。農村部では郊外の騒音問題は顕著ではないと書きましたが、つまり交通量そのものが多くない。密集してい
るわけではないので、その地域ではその学校の外からの音はさほど気にならない。
気温、気湿の問題ですが気温は資料を用意してませんが、気温は総じて高い。校舎は風通しを考えて設計されており、校舎内の問題は乾期ではさほだ問題はな
いが、雨期には雨が吹き込んでくるので、窓を締め切ってやらざるをえないので、気温、気湿が高くなる。雨期そのものは、気温は大きくは高くはありませんの
で、あるいはシャワーの降り方によって夕方授業が終わってから降る場合はさほど問題はない。ただ日本と違って気温が高いので、体育の授業を日の高い時間に
やらざるをえないという状況の中では、熱中症の配慮等々が必要だと思います。ただ日本人が行って感じる暑さと子供のころから育った、彼らの感じ方とは若干
違いますので、すでにそれらに対して配慮が行なわれているんだろうと思います。今の4項目については、これまで調査してきた中からメモったものです。
その他の検討項目ではいくつかの項目を私なりにメモってみました。対象になるかはご意見を伺いながら相談していくことだと思います。
まず、机と椅子はサイズが合っていない。国土さんが用意してくれてますが、右下の図の左の女の子はぶら下がっているような状態です。特に農村部に行けば
行くほど学校全体の予算規模が小さいので机、椅子を充分に揃えることができない。あるいはところによると机の数が足りなくて、2人くらいは床でやってる。
そういうような光景に出会うこともあります。特に僻地ではそういう問題があります。
2番目は靴、グランドの問題ですが、農村部、僻地に行けば行くほど、はだしで学校に通ってくる子供たちがいます。そういう子供たちが足の怪我をおこす可
能性は充分あります。実際に訪問した学校の中でひどい怪我をおったまま放置された子供たちに出会うことはあります。靴を買い与えればよいかということは別
問題ですが。そういう配慮は必要だろうと思います。
それからごみ問題です。校内のごみ問題、特にタイではビニール袋が散乱しています。学校周辺で、1バーツ、2バーツで、ジュースやスナック類を売ってい
る。そういうものの袋がそこらじゅうに放置されている。ハエの問題や雨期の水溜りとかと重なってごみが放置される場合には学校を清潔にすることは必要だろ
うと思います。私が行ってますノンガモスクールでは校長先生は、クリーンアンドグリーンが学校の1つの目標だということで学校美化に努めているところもあ
ります。
保健室の問題ですが、僻地校は十分な保健室がありません。ところによっては倉庫兼保健室ということで、倉庫に古いベットがおいてあって、カーテンが掛けら
れているようなところもあります。これは学校の規模、予算の問題であるようです。実際に体調が悪くなったら学校のそこに寝かせておくのか、家に返すのか聞
き取りを十分してませんのでわかりませんが、保健室の整備も必要かなと思います。
5番目に熱中症と書きましたが、学校の中でのスポーツは11月12月がスポーツシーズンで大変に熱心にスポーツをやらせます。スポーツは学校をあげて取
り組んでいますので熱心に指導します。組織的な練習をする傾向がますます強まっています。そういう意味では熱中症の問題がおこり得る可能性があるだろうと
思ってます。バレーボール、バスケットボールコートがコンクリートという例があります。そのほうが傷まない、雨が降っても利用できるという理由でコンク
リートの上で球技をやる、裸足や草履でやるという状況なので事故がおこる可能性はある。事故がおこったときは大きな問題になることが懸念されます。
それから、項目が適当ではないかもしれませんが、トイレ、下水、残飯という問題、昨日の会議では、男女別トイレ、足洗い場の項目があがっていましたが、
そういうもので、学校の環境全体の整備、配慮が必要だと思います。日本ではございませんが、狂犬病対策、タイでは野犬、北タイに行きますとのぶたがおりま
すが、そういう動物の類、猿がいたりしますので、狂犬病対策の確認をする必要があるのではないか。
日本ではあまりないとおもいますが、埃、乾期にはたくさん埃がまってます。パソコンを導入したことでパソコンに対する埃に敏感になっている。ほこりが人体
にどんな影響を及ぼしているかこれまであまり関心がありませんでしたけど。そういうことにも一応検討してみる可能性はあるとおもいます。
今回はメモということで、十分な準備ができないままに思いついたことを報告しましたがこれまで多くの学校に出かけられた先生方にコメントをいただきなが
ら、なにが重点的に必要なことなのか、どういうところにも配慮して再検討したらいいのかということをコメントしていただければと思います。以上です。
大澤
今日は初回ということで、学校環境衛生についてはまたいずれ、ディスカッションしたいと思います。今日のところで質問はありますでしょうか。
国土
室内照明問題がでてきましたが、古い木造校舎の中の天井を白く塗るだけで、だいぶ環境が改善される感じがします。机と椅子の問題が話題にのぼりました
が、実際高さをすべて測ったデーターがあります。まだまとめてないですが、小学校6年生で使っている机の方が小学校4年生が使っているのより低かったりし
ます。そういうのを入れ替えるということで、少ないお金と、努力で環境が良くなるかなと思います。
大澤
日本の学校環境衛生の基準と比較してみたら面白いのではないかとか。タイには学校環境衛生の基準はどこかにあるんだろうかと前から思っているんですが、
調べたことがないのでわかりませんが、だれか知りませんか。益本先生知りませんか
益本
これは知りません。
大澤
もしなければ、日本の環境基準をお示しすることも、将来的に必要なんだと思います。
益本
いま先生がおっしゃったことに関連して、緊急度、重要度、経済性を両方で評価して、まず、どれかからやるかを考えたらいいかなと。
大澤
いずれも問題だということがよくわかります。
益本
綾部先生の方が詳しいと思いますが1990年代になって、タイの経済の発展のおかげで、子供一人当たりに対する予算が増えたこと、それと機会拡大教育に
よって小学校に中学校を併設できた学校は予算がドンときたということで、かなり新しい建物や予算ができて、かなりよくなりつつあるのが実感です。
大澤
僕からひとつ伺いたいことは、1986年に、これは家田さんも一緒に、学校保健研究に載った論文のデータとそれから、しばらくたってから、国土、佐川で
発表したデーターと比較してみましたか。
国土
ちょっと調査項目をみましたが、あまり多くの違いはみられないとおもいますが。
大澤
私どもが86年に発表したデータは基本的にミネラル類の測定で、KやNa,Ca,Mgとかそういうものだった、その結果、タイの水は硬い水、ミネラル
ウォーターそのものであるということになったのですが、WHOのじょ限度もぎりぎりかそれを越えているものがありました。かなり「水あたり」をする原因は
そこにあるのではないかと思いました。残念ながら細菌学的な検査はコリテップという簡単なやり方でしかやってない、その時はどこの水、ホテルの水だろう
が、学校の水だろうが100%大腸菌群が検出されました。しかし国土さんたちの結果をみますと意外ときれいになってるんですね。これは時代が違うというこ
となんでしょうかね。
国土
トイレの普及とか
益本
塩素を簡易水道に投入していることによることかなと思います。
大澤
アナマイなどで消毒薬を大量にばらまいている。そういうのを使っているからですか。
綾部
実際に保健所のほうに聞いたら年に2回程水質検査にきているということで、その時に指導を受けているようです。
大澤
日本でこれだけ出たら大騒ぎになってしまうけど、それにしてもよくなっている。水の問題は感染症との関係で非常に大事だと思いますのでまたの機会に発表
してもらいます。その他室内の照度、気温や気湿について、どなたか質問ありますでしょうか。先ほど写真で見た新しい教室は天井がかなり高くなっていて、天
井から1メートルくらいのところには外の光がそのまま入り込むようにガラスをはめ込んで明るさを確保している。その下に鉄製のスティールの窓がついてい
て、それが光風通しをよくしている。これは旨いやり方だと思う。天井を高くしないといけないので大変だと思いますが。
佐川
従来はガラスのところがブロックで穴があいていた。それで風が出入りしたが蚊も出入りする。
佐川
ここの見てもらった校舎はドンクライ小学校で、上が全部開いるが木で出来ているので中は暗い。
大澤
20年前の建物は校舎自体が高床式で風通しがよかったが、今のはみんな地べたについってしまった。伝統的な建物が消えていってしまいます。
益本
建物を建てる時に土をもってその上に建てているとおもいます。あるいは排水ができるようになって、べたに建てる。あるいは予算を節約するために高床にし
ない、いろいろ理由はあると思いますが。
大澤
ラオスは西嶋さん、ああいう建物ですか。
西嶋
そうですね。校舎はまったく一緒です。
大澤
タイには学校建築の専門家はいるんでしょうか。
綾部
地方をいろいろ回っても様式は似てますよね。なんらかの基準みたいのものがあるとおもいますが。
西嶋
高等教育機関になるとぜんぜん違います。ビルディングです。
益本
今コンクリートで作られる教室の広さはどこも一緒ではないですか。広かったり、狭かったりという印象はないですね。木造校舎へ行くと山地民の、こんな狭
いのかというのがありましたけどあまり感じませんね。
大澤
広範な議論ができる分野なので、今後またきちんとした議論をしていきたいとおもいます。
西嶋
1点だけ、今後の技術協力を考えると環境の課題は学校における生活環境と学習環境ぐらいに大きくわけて考えてもいいと思います。水、光、温度の自然環境
ベースの学校生活環境とよりよく学習ができる明るさ、埃、教育道具、先ほどスポーツが盛んに行なわれているとありましたが、前に東ティモールに行った時
に、スターターを作ったんですね。他のジャイカの協力隊員で溶接できる人で、自動車、自転車、バイクを作っているので、そういう人と組むと教育に必要な黒
板とかそういう道具も作れるので充実していく。それを現地の人がつくれるように教育する。教育分野に他のジャイカの専門家の技術も引き込んでくるという可
能性もある。生活環境と学習環境に分けて考えたらいいかなと思います。
綾部
学術的見地からというよりも個人的な経験則からですが、その他の検討項目で佐川先生があげていましたが、埃がかなり問題かなと思っています。都市の学校
でも、農村部の比較的大型な学校でも校舎の規格そのものはさほど変わらないですが、くすんだ汚れた印象があるときは、だいたい埃が関与しているケースが多
い。特にタイの乾期は11月から2月くらいは、場合によっては一滴も雨が降らないくらい乾いていて、埃がグランドから教室の中に入ってくるケースがある。
工夫されている学校はペデストリアンというか通路の部分がきちんとペイブメントがしかれていたり、植栽がほどこされていてしっかりガードされていたりする
のですが、校舎の外がすぐ土というところはこの問題が大きく、考慮すべきことかなと思います。
大澤
まったくそうですね。我々が2,3年前にチェンマイ県にチャオメールワンにいきましたが、ものすごかったですよね、鈴木さんもいきましたよね。はじめて
の人は二度と行くまいと思ったかもしれない。我々が座るところがないくらいほこりだらけで、不潔でしたよね。埃をどうするかは大問題です。例えば、ほこり
が教室に入ってきてしまうのもそうなんですが、自分たちの足が汚れていて、教室環境を汚している。足洗い場をきちんと作ったり、ダスキンなんてありません
が、足をこするようなものをおいたりいろいろできると思います。勿論植栽をほどこして外からのほこりを遮蔽したりできますが、いろいろ工夫をすることに
よって環境衛生に関しては、比較的、協力の効果はすぐみえますから、短期のプロジェクトには取り組みやすい気がします。思いつきですが、蚊が入ってくると
益本先生がいってましたが、蚊が外から入ってくることがありますか。
益本
ありますよ。なにもないですから。ブロック壁があって、そのブロックに模様みたいにすかすかになっていて向こうとこちらに、
大澤
それに網を張るとかという工夫はないのですか。
益本
ごく1部は網をはっているが、ほとんどはないですね。
笠井
先ほど、高床式の家の話しがでましたが、形としては古い伝統的建築様式に見えるけど、コンクリートで高床式になっている学校がかなりありますよね。その
下に雨期水がたまってしまって、それがなかなか引かなくて、そこにぼうふらがわいてしまい、下で蚊をかっている状態です。バンコクで蚊が大発生したとき
に、ボウフラ対策に金魚を飼ったりしたようですけど、例えばそういうことをするのも効果があるかもしれません。
大澤
鈴木さんにひとことチャオメールワンの印象を聞きましょうか
鈴木
一番印象に残っているのは食堂を使って測定をすること。学校の水道とかトイレ。トイレが全然違うとか…
大澤
次は家田先生なんですが。
タイにおける学校安全
家田
我々が調査した中に安全に関するものがあったかどうか、またお伺いしたいと思います。日本の安全教育と体育活動というタイトルで書いたものを見ながら、
タイではどうなのかということを少しみていこうと思います。
68ページの一番上、わが国の事故による死亡で1996年に約4万人の死亡があった。死亡率が31.4%で、この率はしっかり見てこなかったのですが、
タ
イの方が大きいのではないかと思います。不慮の事故の内訳では交通事故が一番多く、窒息、転倒・転落、溺死・溺水という順番になっている。日本では最近、
交通事故防止ということで、死亡率が減少してきていますが、タイの方では新しいところでは1996年までは自動車や事故がどんどん増えています。自動車が
増加しているということと、平行して死亡数も上がっているのではないか。現地で見ますと原付のところに3人乗り、4人乗りしている。またトラックやバスに
あふれそうになっている。すごくダイナミックな乗り方をしている。やはり事故になるなという感じです。
またすごいなと思ったのは現地の中等学校くらいの免許を持っていない子供が、オートバイで通学しているのですが、やはり危ないです。タイでは自動車自体の
安全性がまだまだだと思います。昔ですと床に道路が見えるような大きな穴が開いている自動車が平気で走ってました。安全装置という段階では全然なかった。
オートバイのヘルメットです。安全用具の着用の問題です。数年前からタイの政府も交通事故対策を一生懸命やっている。シートベルトの着用をうるさくやって
いるとおもいます。法律がどうなっているのか、調べてないのでそのへんのところをチェックしていきたいと思ってます。
次は69ページの学校管理下の事故ですが、1994年日本で272人の、学校管理下の死亡があり、交通事故の死亡が一番多く、次いで、突然死、突然死は
心臓病と関係があるということです。
タイ方ですが、学校までの距離が長い児童生徒がおり、通学路が歩道がなくて車道を歩いてくるところも多い。そういう点で、通学時の交通事故が多いのが問
題になると推測されます。下の方に障害の発生がありますが、おもに歯が折れたり、視力の障害、手の指が取れたとかそういった、もとに戻らないようなものが
ここに書いてあるわけですけど、日本の場合、教育活動としての体育活動に伴う事故と教育活動としての体育活動外の事故が同じくらいあります。小学校だと圧
倒的に授業外の事故が多くなっている。
先ほど佐川さんの発表にもありましたけど、タイの田舎の方では子どもが靴をはいていない。スポーツ活動ですが、サッカーを裸足でやっている。あるいは短
距離走を裸足でやっている。生活の中でもその辺を裸足で歩いている。ごみとの問題もありまして、ガラス等が落ちていると怪我の原因になると思われます。日
本だと球技の中で野球が多いですがボールは速いし、硬いしということです。タイの場合は野球が少ない分だけこのへんは少ないのかなと推測しています。
次に、右側の上の学校管理下の負傷と疾病を見ていただきます。日本の場合には日本体育・学校健康センターですが、1996年からは治療に4千円以上各費
用
を要した場合に保険を給付するということになっています。昨日の大澤先生の発表の中に保険のこともでてきたのですが、タイにもこういった、日本体育学校健
康センターの事故に対する保険のようなものが存在している。
日本では体育的な部活動の中にも事故が多いですが、タイの方は運動部活動は少ない。ここで簡単に愛知県の小学校でのいろんな事故具体的例を見ていきま
す。
小学校ですが、右側に手で書いてありますが、目の関係の事故が多いですね。年齢と性別についてはまんべんなくあったという印象でした。あと気がついた点で
いいますと教室内の事故が多い。粗暴な行動とかでホッチキスのしんを投げたとか、下敷きを投げたとか、塵取りを投げたとか、そのようなことをしたら危ない
ということをやっている子が多い。あと細かく見ていくと面白いと思います。けんかを止めるさい悪口をいったら反対に目のそばを殴られたという危ないような
ことをすることが多かった。三分の一のけがが教室内で起きてまして、廊下、階段で三分の一弱で、建物内の事故がわりと多かった。放課中に三分の二の事故が
あり、学校のなかですごく落ち着きがなく、乱暴に動いている感じがする。タイの学校を見た時は、わりあい落ち着いている。建物の中でワーとするところを見
てなかったので、そういう意味では逆に日本の方がタイから学ぶべきところが大きいのではないかなという印象を持ちました。
家庭・近隣の事故ですが、私は最近、医療機関にかかった事故、軽微な事故、及びもう少しで大きな事故になるというのを含めて、調査をやってます。伊藤忠
記念財団の委託研究で何人かで共同研究をやってます。年齢段階で9歳以下のことを聞いているのですがだいたい結果として5歳くらいまでの事故がたくさん報
告されてます。350くらいの方から回答を得まして、医療機関に掛かった事故の発生で2歳が一番多く、次いで1歳と3歳の事故が多い。事故のタイプにつき
ましては全体的に見ますと、転落、転倒が多い。あと家の近くで交通事故に遭う、異物の誤飲事故、指や体を挟まれる。これはだいたい指ですが、あと若干、水
に溺れるとか窒息するとかのこわい事故がある。こういうような状況です。
タイの子供の場合どうなのかなと考えますと、自然の中で遊んでますので、日本の場合は水に溺れるというのは自分の家のお風呂場で溺れるのがほとんどです
が、タイの場合は川とか池とかで遊ぶ子どもが多いので、そういうところも危険があるのではないかなと思います。交通事故がタイでは大きな問題です。日本で
は最近、変な人がでて、学校が襲われるとか、通りで連れ去られるとか、男の子が性的な対象になったり、非常に問題になっているわけですが、タイの場合はそ
こまではないので、いいのかなと。熱中症ということが…
大澤
ここにタイのモータービークのトラフィックアクシデントの1962年から96年のまでのレートがあります。
家田
ざっと日本の方を簡単に紹介をしましたが、たまたま何年か前に買ってきた高校くらいの教科書ですが、それを見てきましたが交通規則なども書いてありま
す。皆が持っているかは別として、日本の教科書より内容が多いですよね。
大澤
それは何年生くらいのですか
家田
ハッキリ見てこなかったのですが、高校くらいですか。
綾部
中学生ですね。
家田
応急処置がたくさんでてますが、元スリナカリン大学のスティー氏に聞きましたが保健も日本のものをかなり参考にしているようです。応急処置がでてます。
全部をみてないのでわからないのですが、生活安全に関しては、日本でだんだん内容が精選されてしまった結果、生活安全の内容がなくなってしまった。非常に
問題だと思います。生活安全の、今、私が紹介した誤飲だとか、窒息とか1歳から5歳くらいの事故防止を知らない人たちが親になっていくとまた、結局事故を
繰り返してしまう。日本でもそのことは教えないといけないわけですが、タイでは教えられているのかどうか、チェックしてみたいと思います。安全の問題につ
いては教育的なことと、環境や道具のこととの両方ありますが、まだ資料の蓄積がないのでこれから調べていかないいけないと思ってます。ご感想をお願いしま
す。
大澤
ありがとうございました。家田先生のご報告で何かご質問はありますか。
益本
現地で小学校、中学校と接触してますと、友達との大きなトラブルは家族が多いせいか分かりませんが上手に大事にならないうちにやってますが、運動の怪我
と日本では全然考えられない、へびにかまれたとか動物との関係、一番多いのはバイクでの事故でよく担ぎ込まれたり、治療されていて、バイクは原則としてほ
とんど無免許で、それで乗ってしまっている。小学生くらいから乗っている。ヘルメットもほとんどしていない。高校くらいになるとひどいのは飲酒運転で、被
害を受けるほうも飲酒運転による事故とかが結構多い。ちょっと関係ないかもしれませんが昨日から今日にかけてでてきたマラリアやデング熱とは別に児童生徒
でミネラル不足で甲状腺が腫れているというのが北タイで結構おりまして、それはどこの先生方もーーーかわかりませんが気がついたことを先に述べさせてもら
いました。
佐川
今、バイク事故が増えているということですが、いろいろな人から聞く例はバイクによる死亡が多いということで、大人も多いのだと思います。マッサージと
かに行くと奥さんが働いていて、何年働いているのとか聞くと旦那が事故で亡くなったと、バイクということで、エイズも多いですが、そういうのも良く聞きま
すね。村にいっても、バイクで亡くなったというのを。高校生のバイクの事故も結構多いと思います。そういう意味で不備なビーグル、バイクなんかもタイヤは
ひどいものですし、自転車でもトラブルをかかえていて、ブレーキが利かないが乗っているということは、よく見かけます。それと無理な横断。それとこれは家
田先生の発表と違いますが、生活安全だけがここに入るのか、むしろ薬物によるトラブルも領域に入ってくるのかなとか、これはもっと違うかもしれないが先生
の体罰も日本にはない、これもお話を聞いていて感じたので、以上です。
大澤
タイの死因の中に自殺、他殺、事故が非常に大きいウエイトを占めている。仏教の国、微笑みの国というわりには、非常に暴力事件が多いので、安全教育は非
常に大事だと思いますね。大人の安全教育は実質上できないわけですよ。運転免許証を取得するのに非常に簡単に、聞くところによれば何千バーツかで取れると
いうことで、免許証の更新もご存知のようにほとんどなされないということで、よほど大きい事故をおこして本人がこりない限り、大人は教育を受ける機会がな
い。そうするとやはり特に中学生や高校生を対象にした安全教育が国民死亡の改善にも直接関係するくらい重要です。勿論怪我で障害者になってしまうとか、そ
れほどまでもいかなくても学校をやめざるを得なくなるとか、いろいろな影響がでてくる。やはり家田先生には是非日本でどういうな方法で安全教育をやり始め
てうまくやってきたか、交通事故も少しづつ減ってきているわけですから、そういうことを次回お話いただいて、その次くらいにできればタイでどんな安全教育
が可能か、提案していただければ大変ありがたいのですが。
佐川
もう1点、これは綾部先生に質問というかたちでさせていただきたいのですが。タイ人の国民性みたいなもので、前に見ない、規律が育たないということを言
われまして、それからバンカックマイダーといって、本人の問題で、周りがとやかく言うことではないという、二つの言葉が気になっていて、教育して、本当に
それが効くんだろうかという問題が、例えば、交通事故や、安全の規範ができない理由ではないかと思うのですが、どうでしょう。
綾部
教師の絶対的権力ははるかに強いですよね。むしろ家庭内での場合の方が強い気がします。少し話がずれますが、よく日本とアメリカの比較論から、日本は子
供の頃に非常に自由度が高く、大人になって自由度が減っていく。一方アメリカはその逆であり、老人になってくると個人主義的感覚で子供と親は別人格という
ことで自立を強いられると言われています。つまり、日本とアメリカが対照的ということですが、その論法でいうと、タイも家庭では日本と同じように子供に甘
いなという気がします。そういう意味では家庭で実行できない部分を学校のかなり厳しい規律と強制で補っている。それがどちらかといえば否定的な意味での近
代化により、過度な自由や人権の名の下に、学校でもそれが機能し始めなくなっているというのが印象です。
大澤
私もエイズの時に同じことを言ってるのですが、タイ人は来世信仰が非常に強いです。死を恐れる程度は日本人と比較にならないくらいです。悪くいえば命の
価値が我々が思うほど重くない。死んでもその次の人生があるという、そういうのと無謀な行動をするのと何か関係しているのという気はしてますが、こういう
データーは取れませんので。今の大人は安全教育をぜんぜん受けていませんので、もし安全教育とかをすれば、たぶん死亡率と事故率は下がると考えていいと思
います。昨日もみましたが、コンドーム着用率、使用率を下げるのは結局学校教育だといいましたが。事故率を下げるのも学校の教育ではないかなと思っていま
す。
綾部
確かに先生がおっしゃったように仏教との関連がどの程度まで本当かはなかなかデータでとってもわからない部分ですが、その相関を考えることはおもしろい
です。タイの仏教はいわゆる宗教でなくて、実践宗教だといういいかたがありますが、根本のところは、タイ語でタムディーダイディー、いいことをすればいい
ものが返ってくる。悪いことすれば悪いものが返ってくる。合理的な考えが一方にある。それをもっと合理的に推し進めていくと悪いことをしても、その分いい
ことで補えば相殺されるという過度に合理的に解釈する人もいる。勿論本来の仏教の教えとは違いますが、そういうことがさっきいったバイオレンスの多さにつ
ながっているのかどうかということはある種興味深い気がします。
大澤
余分なことですが、社会学者のジンメルの自殺論を読むと、カトリックの国の自殺率は極端に少ないがプロテスタントの国は非常に高い。プロテスタントとカ
トリックの人が一緒に住んでいる地域は、ちょうどその真ん中にある。
(テープ7に続く)
テープ7
大澤
そういう時期があって学校で教育するようになってお寺から子供たちが切り離されているのではないかという気がはします。ただ我々が2003年に調べたと
ころでは来世があると信じている人たちは圧倒的です。宗教文化というか宗教的感心が変質はしていると思いますが、底流には非常に強く流れていると思いま
す。少し関係ない方にいってしまいましたが、安全教育に関して何かありますか?
綾部
そういう学校安全については、日本でのあり方を適用して助言を与えたりとか指導したりというのは確かに効果はあるでしょうし、重要なことだとは思います
けど、一方で、もっとマクロな行動的部分に起因するものもかなりあるとは思います。あまり言ってもしょうがないことですが、例えばバンコクやチェンマイの
中心部ですと、登下校はほとんど父母が送り迎えをしています。ところが、田舎の学校では場合によっては送り迎えをしますし、もちろん歩いて行ける距離なら
問題ないのですけど、かなりの部分いわゆるソンテオ、寄り合いバスを雇って毎朝毎夕送り迎えをしてもらっているのはかなり多いですね。そこにかなりぎゅう
ぎゅうに詰め込んで通学したり、あるいはそういうことができない場合には免許をもっていないお兄ちゃんが弟や妹を3人乗り、4人乗りでバイクで迎えに行っ
たりとか送りに行ったりとか、そういった過程での事故をかなり見てきていますし、見聞的にも伝わってくる部分なんですね。それはただどうしたらいいのかと
言うと非常に難しいですね。止めた方がいいとは言っても、実際にそれ以上の費用負担がなかなか親にはできないし、現実を変えるのは困難でしょう。ただし、
そういう構造的問題と安全というのもかなり関わってくるので、学校内でのみ生起する問題ではないということだけは指摘しておきたいと思います。
佐川
例えば、よく小学校や中学校で、警察官が来て交通安全指導をやるじゃないないですか、自転車乗り方やバイク乗り方など、そんなことぐらいは僕はやっても
いいと思いますけど、実際さっきでてきたベンジャマハラーノという所は、たくさんの生徒が皆バイクで通学しているわけですから、それを何らかの指導をしな
いというのは当然事故が起こるわけなので、そのようなことだけでもやるだけでも違うと思いますけど。警察は好かれていないから、いやなんでしょうけど。
家田
無免許で来る子たちを指導するというのは難しいなあと思います。
佐川
その辺の矛盾はある程度無視せざるを得ないと思います。大分前の統計ですけど、バンコクで流通している普通免許の3割が賄賂で購入して得た免許という統
計もありましたからね。大人の社会でさえそうですから、
大澤
小学生がBMW運転しているのを見たことがありますよ。
下田
学校保健の中の学校安全というと、怪我とか事故が対象になってくると思いますけど先日ニュースを見ていたらタイの南部の方で生徒がライフルを発射して生
徒を殺してしまったというニュースがあったんですよね。そういうアメリカの先進国で見られるような事件のようなものがタイでも起こっていると考えると、怪
我とか事故という事と、また一方でそういうことも考えていかないといけないのかと、そういうのも学校保健の教育指導に入ってくるんでしょうか?
家田
最後に、交通安全の問題の解決には法律の施行が重要だと言うことを指摘しておきたいと思います。たとえば、台湾では交通事故が大変問題になっています
が、数年前にシートベルト未着用に罰則を適用するということがあって、大分抑えられてきたといいます。ですから、タイの交通法規についても見ていく必要が
あると思います。
佐川
?に関して、若い子の1994年ぐらいから法制化されて、二人乗りはOKで、______の場合も同乗者を取られていこうというようになったように記憶
しています。
大澤
いずれにしても、安全教育は学校保健の中の一つの大きな目玉になり、将来的には家田先生活躍の場になるんでないかと思うのですが、幸い我々の友人にス
ワットさんと、うまく共同して一つ運動でも展開すれば、ファンとかでてくるんではないかと。スワット印のヘルメットをかぶって、タイ全土を皆で、走り回る
ような、そんなイメージで考えても…。
何かありますか?
家田
日本では飲酒運転の事故、及び飲酒運転に対する罰則が強化された。たとえば酒気帯びで30万円という罰金の驚異的な値上がりがありましたけど、やはりだ
らしない人が多いから、罰則をきちんと適用することが必要ではないか。千代田区の路上禁煙条例と一緒で、「マナーからルールへ」ということは、交通安全で
も同様にビシッとやっていくことが大事だと思います。
大澤?
タイでは飲酒運転いいんですか?
?
え、はい
?
いいんですか?
大澤
いや事故を起こさなければいいとか
下田
起こしたら終わりではないですか。
大澤?
飲酒はいいんですよね。
スティーさん、言っていたでしょ。大丈夫だと。
國土
あのやはり鉄道やバスの普及など社会のインフラの整理というのと関連しますね。アメリカでは州で大分違いますけど、車社会ですので、僕らの行ったミシガ
ンでは、法律的に、お酒を飲むと注意力が低下するということを認識しなくてはいけないというのが正解で、車を運転してはいけないというのは不正解となりま
す。
(休憩)
タイの教育制度と国際協力の可能性
大澤
続いて、綾部先生にタイ国教育制度と国際協力ということで、お話をして頂きたいと思います。
綾部
成蹊大学の綾部です。タイの教育制度と国際協力の可能性という形で、大澤先生に宿題を頂きまして、皆さんご存知のように、私自身は文化人類学という学問
の名のもとに少数民族の研究をやってまして、この辺のことは必ずしも専門ではないのですが、最近少数民族と法制度やさまざまな制度との関係を調べていく中
で、教育の事にも少し触れる機会もありましたので、その辺から少し火をおこして、お話したいと思います。まずタイは最近非常に教育を重視して力をいれてい
るわけですけども、一つの大きなきっかけとなったのは、レジュメの「はじめに」の所に書きましたように、1993年に世界銀行が報告書を出しまして、その
時にアジア地域の経済発展と教育との関係等を論じたことだともされています。その中で基本的には東アジアの奇跡と題して、日本や韓国、いろんな地域の特に
韓国等の目覚ましい発展をすべて書いてはいるんですが、その一方で、タイに関しては非常に厳しい評価を下しまして、その時ここ数年来、タイでは一定以上の
教育を受けた労働力の深刻な不足が持続的な高度成長に対するマイナス要因として働き始めていると言ったような指摘をしたわけです。これをタイの教育省はか
なり重く認めた部分もあったようでして、事実どれくらいの相関があるのかわかりませんが、97年に皆さんもご存知のようにタイ版バブルの崩壊が起こりまし
て、タイ経済は非常に大きなダメージを被ったということがありまして、教育との関連が見直されている時期であります。ということで、直接学校保健そのもの
と関係するわけではありませんが、その大きなバックグランドとなっている教育制度に関して、もう一回皆さんにとっては釈迦に説法になるかもしれませんけど
も、ざあーっと見直しておくのもいいのかなと思います。
まず簡単にタイの初等、中等教育制度の歴史及び、特色等をお話したいと思います。実際にタイでいわゆる近代教育が始まったのは19世紀の後半、1870
年代ぐらいにラーマ5世チュラロンコン王が始めたのが契機と言われています。その頃はちょうど1855年のボーリング条約というイギリスとの条約が交わさ
れたことを契機にタイが開国してからまだ20年そこそこしか経っていない時期でして、このままだと植民地化されてしまうと、国民的一帯意識を高めるために
国民のレベルを上げて、教育に於いてナショナリズムを段々植え付けていくという発想が生まれてきまして、そこでラーマ5世あたりが始めたわけですね。今は
タイ語で学校のことをローンリアンと言いますけど、つまり学ぶ建物という意味ですね、ローンリアンというのは。その頃はローンサクーンと言ってまして、サ
クーンと言うのは、スクールがタイ語式に訛ってサクーンと言いますけど、現在のローンリアンの前身だったということです。
ただその時点では主として、王侯貴族に対する教育が中心で、ただそれではまずいともちろんラーマ5世が考えてまして、平民用の学校を初めてバンコクに
作っ
たりする努力を始めたわけです。その時もともとあったインフラとしての寺院における教育を利用しまして、仏教寺院が教育の場としても機能していたようでし
た。実際いわゆる教育法みたいなものを作って、本当に近代的な教育が始まったのはラーマ5世の息子のラーマ6世のワチラウットという国王が1913年位に
始めたのがきっかけだったというふうに記憶しています。その後に、初めて1921年初等教育法というものが正式に交付されます。この時点では、この辺はく
わしく説明すると冗長になりますので、さあーっと流しますが、まず男子は5年、女子は3年という義務教育を施行しました。その後徐々にいろいろ改正してい
くわけですが、35年に一度目の大きな改正がありまして、この時に男女ともに4年制へと移行したということです。
そして、51年、戦後ですね、戦争を経て、アメリカ等からいろいろ指導を受けまして教育改革を行うわけです。その時に初めて、3年制中等教育が開始され
ま
した。従って、初等教育4年の上に、3年の中等教育が乗っかった7年間の教育までが出来上がるわけですね。それからその後に、60年に国家教育計画という
ものが修正されまして、ここで7年制の初等教育、前期4年、後期3年というものが義務化されます。この時に初めて、よく大澤先生の話に出てくるんでけど、
タイは12の教育管轄に分かれているという話ですけど、それは68年に制定されたわけです。それが77年に第二次教育改革がありまして、それを受けて78
年に日本的な6,3,3制度へ移行しました。実はそれまで、初等教育の管轄というのは外務省だったんですね。それが初めて教育省へと移行した。77年とい
う時期は、皆さん現代史を考えればわかると思いますけども、ベトナムが75年にサイゴンが陥落して統一され、ラオスも75年にパテドラ王が王室を打倒して
新政権を打ち立て、カンボジアでは内戦が繰り広げられている、という非常にタイの周りが社会主義、共産主義に揺れている時期でして、そこで、アメリカとの
連携もありまして、タイのナショナリズムを維持し、絶対タイの国境を維持するんだという気持ちが国家として強かったわけですね。そこでもともとあったタイ
原理というものを、非常に教育にも強調しました。これは後でも出てきますけど、いわゆる民族共同体、宗教、国王の3つですね、これに対する忠誠というもの
を、小学校の時点から段々擦り込んでいくということを始めたわけです。少し前まで、国王は力を失っていたんですけど、32年の・・・革命以来、50年代ぐ
らいから、サリットという陸軍元帥だった人が首相になって、彼が国王を利用して政治の世界でのし上がって行く、ところが同時に現プーミポン・アドゥンヤ
デー国王がカリスマがあったせいか、この60年代70年代ぐらいからいわゆる開発の王として、非常に僻地の農民、漁民たちの求心的シンボルとして、機能し
始めた時期でもありました。それもこの教育に利用されたわけですね。
そして90年には今度はまた少し時代が現代に近づいて参りますけれども、第三次教育改革が行われます。ここで、何度か今回の話し合いでも話題になってき
ま
した前期中等教育の義務、無償化ということが閣議決定されます。それまで、非常に低かった中学進学率をもっと飛躍的に上げようと、確か90年に決めた時点
では、97年までに77パーセントぐらいまで上げようという数値目標を立てて、開始したわけです。それを受けていろんなことが変わりました。92年にはカ
リキュラム改正を行って、社会開発への参加とか、伝統文化維持、強調したわけです。その後またいろいろありまして、皆さんもご存知のように97年に経済が
崩壊し、それを受けて、憲法も作り直されましたし、司法主権も拡大した。教育法も新たに制定されたわけですね。それが98年でした。
ここで述べたような自然環境と科学の調和とか、宗教、文化、知恵、民間による教育管理・運営等の重視がなされていった。特に個人的に目に付いたのは、宗
教、文化、知恵の部分ですね。92年ぐらいから強調されていったわけですが、土着のいろんな伝統文化というものはそれまでは近代化産業の発展とともに、段
々なくなっていって、国家的なものに統合されていくと考えていたのが、実はそれは重要なんだというふうに、例えば、金曜日は民族服を着ることを義務付けた
りとか、学校の中にいろんな資料館を作ったり、そうやって各地方の、タイ語で言うとプーミパンヤーと言うんですけど、そうした伝統の知恵を重視していった
というのもこの頃からさらに強まっていきました。
さらにこの時に12年、つまり日本で言えば初等教育から高等教育までの12年間の基礎教育制度というものを施行しようというふうに決定されたわけです。そ
れを受けて2001年には新しくカリキュラムが出来て、時代に応じてグローバリズム的なものとうまく調和していけるようにということもここで打ち出されま
した。そして、98年に制定された新しい法律は、具体的には2002年昨年度から徐々に段階的に開始されていったと。具体的な理由は僕もよく把握してませ
んけども、タイは法律を作るということと、それが具体化するというのとかなりズレがあることが多いので、そういうことになったのでしょう。それが教育の流
れです。この中で、特徴と思えるものをいくつかピックアップしてみました。
すでに述べたことと重なりますが、一つはさっき言ったタイ原理ですね。ラックタイと言いますけども、チャート、ササナー、プラマハーカサット、という3
つ
は、国旗の色と対応している、よくご存知だと思いますけれども、国旗の3色もこれのそれぞれに対応しているわけです。それからボーイスカウトの服装した子
供たちをしょっちゅう見ると思いますけども、あるいは教員がボーイスカウトの格好をしている、これは実はラーマ6世ワチラウットが教育に取り入れたもので
して、ボーイスカウト的な活動を通じた国家主義、ナショナリズムの子供たちへの擦り込みというものが多分背景にあったのだと思います。これをタイ語では
ルークスア(虎の子)と言いまして、もう完全に学校のカリキュラムと融合した形で、活動が展開されている。ちなみに一般国民レベルでいうと、それはビレッ
ジスカウトと言いまして、一般農民たちがビレッジスカウトに変身して、いろいろ活動をやっているわけですけども、これも悲しい歴史がありまして、ビレッジ
スカウトは、要するに共産主義者狩りに使われたわけです。70年代半ばに、左傾学生たちを警察と国軍とビレッジスカウトたちが追い詰めて、タマサート大学
校内に追いやって、そして一斉に拳銃やライフルを発射して沢山の学生を殺したという事件における共産主義者狩りの中心になったのは、ビレッジスカウトたち
でありまして、正直言えば、ビレッジスカウトやボーイスカウトと言うのは、タイにおける国家主義、教育と非常に融合しているということです。もちろん別の
面で、課外活動やいろんな生活の知恵を教えるという効用もありますけれども、伝統的にはそういうものです。
それからさっき申しましたように地域の知恵ですね、プーミパンヤー、これが重視されているというのは、皆さんもよくご存知のことであると思います。それ
か
ら我々のプロジェクトがずっと関わってきているように、少数民族教育というのがタイの教育制度における課題なんです。いわゆる三大少数民族は華人と南部の
マレー系イスラムのムスリムたち、それから山地民、この3者をいかにして、タイ原理に取り込んでいくかというのも教育の課題となっているわけですね。ちな
みに92年に改定されたカリキュラムに関しましては、2枚目にはり付けときましたので、参考にしてください。
2枚目に移りまして、現況ですけれども、これすべての現況をお話するわけにはいきませんので、ここでは中等教育の普遍化政策の進展をごく簡単にお話した
い
と思います。これは義務化ではなくて、あえて普遍化と言っていると言うのは、これは笠井先生もご存知のように、いわゆる本当の義務ではなくて可能な限り多
くの子供たちに、中等教育をおろしていこうと方針でありまして、いわゆる義務とは違うということで、教育学の方では普遍化という言葉を使うこともあるんで
す。これはかなり大きな成果を上げているというのは下に記した87年から96年までの飛躍的な進学率の変化、増加からもわかると思います。実際現在はタイ
政府の公式な発表によればほぼ100パーセントに近いものを達成していると言われてますが、実情はよくわかりません。
これがどうして成功したかというと、これをタイ語でカヤーイオカート、つまり機会拡大政策というんですけども、さっき佐川先生の話にもありましたよう
に、
現在ある小学校に、中学校課程を併設するということですね。これによって新たな施設投資、つまり設備投資をしなくてもそのまま移行できるというメリットが
あった。それから小学校教員を強引に中学校課程の教員として転換していく。そうすると、地方によってはかなり学習水準が低い子供たちもいますので、彼らに
合わした新たなカリキュラムを導入して、無理のない転換を図ったわけですね。実際これは本当に新しい学校を作って、導入しようと思えば、おおざっぱな計算
でいうと、今タイが2000校の中学校があって中学校教員が約10万人いるんですけども、それをもし100パーセントの進学率を達成させるためには、さら
に3000校の中学校を増やして、教員をプラス15万人増やさなければ、理論上無理だということで、どう考えても無理だったんですね。そこで、こういう政
策を取ったわけです。ただそれが意外にも功を奏して、進学率が上がっているということで、タイ政府はほくほくしてまして、近隣諸国からもタイを見習えとい
うことで、視察が絶えないという話です。
もちろん良いことずくめではありませんで、次に問題点ということで書きましたように、地域格差というものは必ずしも解消されていない。例えば我々が研究
し
ているような山地少数民族の学校で、本当にそこまで新方式が機能しているかというと、現状はそれからはほど遠いようですね。それから設備の刷新をはかって
いないわけですから、老朽化と容量過多というのも問題です。それから相応の質を持っていない教員が中等教育も担当するという教育の質の低下ということもあ
ります。
また、必ずしも機会拡大教育とは関係ありませんが、保健衛生設備及び、保健教員というものに対しては、非常に認識が進んでおらず、一般の普通の国語や英
語
の教員が保健担当教員ということで、たまたま保健室にやってくるという程度のものがほとんどであって、その設備も都市の大規模校と比較すれば、非常におそ
まつであるといえます。これまで以上に多くの子供たちを受け入れるからには、保健衛生設備も考えていかなければいけないわけですけれども、それに対する対
策はまだおざなりであるということですね。
それからこれもしばしば指摘されることですけれども、教育行政の過度の多様性、例えばここで言うところの普遍化政策だけを取ってみても関連しているの
は、
もうすでにある中学校というのは、拡大政策以前からあった中学校というのはいわゆる教育省の普通教育局が管轄下になる学校です。今回問題になったのは、僕
が初等教育委員会の管轄下にある小学校を、これを中等教育まで拡大して、いわゆる機会拡大中学校にしようと、これらは別にある。それと別にまた、これまで
教育の機会がなかった人たちに、ノンフォーマルな教育を受けさせる、ノンフォーマル教育局というのもあって、こういう別々の機関が連携しながら、相対的な
普遍化政策を展開している。ただその連絡や連携が必ずしもうまくいっていないという非常に大きな問題があります。
ざあーっと教育に関する内容と問題点を見てきました。3番の国際協力の可能性というのが、とってつけたような話でありまして、非常に理念的な話でしかな
いんですが、一つは実際に我々が協力できる分野として、何を研究し、何を還元していくのかということがこれまで以上に明確にされなければ、いやそれは長期
的に意味があるんだという話をしても、何らかの形で還元できなければ、なかなか協力は仰げないというのがこれまでの経験からあります。従ってもう一回研究
対象領域をきちんと同定することが必要だと考えます。これまではどちらかと言えばいわゆる基礎研究的にデータの蓄積を重視してきたわけですけど、それがど
ういうふうに応用できるのかという具体的な思案というものが、ある程度必要という気がします。それからこれもあたりまえですが現地の協力者との連携という
こと、これはかなり進めてきてはいますけども、ちょっと来てすぐ帰るというよりは、可能ならば関わってスタッフのどなたかですが、ある程度長期滞在をして
ラポールの形成をはかったり、日本でもタイからの関係者を受け入れて密な関係を作っていくということが、他の地域にもましてタイでは重要です。タイほど人
間関係が仕事をやり易くする国というのはなかなかないと思います。このあたりは、もう一度考え直すことであると思います。
研究成果の還元ですが、これまでも皆さんもしてこられた報告書を確かにいろんな所に置いてきて、配ってきてはいますけれども、ではそれが、その棚の飾り
以上に、実際に利用されたかどうかというのは、利用価値はあるんでしょうけど、実際にどういうふうに利用していいかということ自体、彼らはわからないし、
我々もその問題に対するアプローチというものを持ってこなかった。これまでのように基礎研究を続けていって、流れのデータの蓄積が研究所に大きな偉業をも
たらすんだというスタンスならば、別に今までのままでいいわけですけれど、実際協力の拠点として、認定を受けて活動してきていくからにはもう少し考えてい
く必要があるだろうという話です。
最後に、これは私見になりますが、一概に日本のこれまでの成果をタイに移植するという考え方だけではもちろん単眼的になってしまい、日本的システムだか
ら
こそうまくいった部分、タイ的システムだからこそ機能しているもの、という2つのシステムを親和性というものをある程度考慮していかないと、単にうまく
いったからお宅でもやってみなさいというわけにはいかないわけです。その間に何らかの潤滑油的な発想やプロセスが必要だというふうに思います。強いて言え
ば、そういう部分は文化人類学というのが比較的強いですから、何らかの貢献はできるかなと思うものの、具体的にはなかなか難しい話でして、それを現実化す
るためのプロセスまではまだ考えていません。
それから、昨日の話を聞いてまして、思ったのは例えば益本先生のニコニコがうまくいった要因の大きなものの一つというのは、ニコニコに関係された現地の
政
府の役員の方がインセンティブを持って始めて、それを業績として昇進をされていったという、言わば、悪い意味ではなく、良い意味で彼らの功名心というもの
を利用できたということもありますけど。それがうまく回転していった、それは決してネガテイブに考えることではないと思います。というのは実際に制度が出
されているからです。単にその名前だけを報告書に載っけてあげて、それが業績になっているということではなく、その具体的成果がそこに伴っているからこそ
彼らは満足感があり、システムとしても機能している。だから我々の場合にも、単に報告書に名前を載せてあげて、彼らの功名心を満足させるという以上の具体
的な還元というものを、やはり考えざるを得ないと思います。実際そのなんらかの数値目標なり、成果なりというものがあって、それが達成されてこそ彼らも本
当の意味で協力的になると思います。その辺は僕もわかりませんので、具体的思案は大澤先生にいろいろと考えていただければと思います。
それから最後になりますが、レジュメには内的特殊性重視というふうに抽象的に書いてあるんですけど、例えば山地民の各民族の計測をやるという場合に、あ
まりこれまでどういう地域の学校で、どういう生態系にあるのか、そしてその基本的には民族の自称しか用いてこなかったですから、例えば実際には、地の上で
は完全にチーンホーというか、ラフのような集団にしても、それをリスならばリスとして記入したりということが恐らく数限りなく統計の中に入ってきているん
ですね。だからもちろんそういうものを無視しても成立しうるという考え方もあるのかもしれませんが、個人的な見地から言えば、今やっていることは続けて
いって成果を出した上で、もし今後続けていくんであれば、そういう内的特殊性、多様性というものをもう少し反映させた上でのデータ取りというものをできて
いければ、よりいいなというふうに思っております。
以上です。
大澤
どうもありがとうございました。大変参考になりました。何かご質問とかご意見とかあれば。この学校保健に、綾部さんのような立場の文化人類学の人が入っ
てやるということは今まで例がなかったんではないかと、大変心強く思っております。今後ともよろしくどうぞご意見を賜りたいと思います。
先ほどの機会拡大教育のところで、あと3000校、15万人の教員が必要だっていうのはどこに出ていた資料、データですか?
綾部
それはもちろん単純計算ですね、例えば87年時点で40パーセントしか行ってない場合、残り60パーセントを収容するためにはどれくらいのキャパが必要
で、どれくらいの人がというふうに考えた、これは潮木さんという人が。
大澤
そうですか。潮木さんが運営委員長ですか。彼はタイの専門だったんですか、知りませんでした。興味があるのかなと思ったのですけど。今桜美林大学の教授
で、拠点システムのコーデイネーターになっていて、東大の教育学部を出て、教育社会学者ですね。
綾部
ここで用いた資料は、彼が国際開発研究フォーラムに発表したものです。
大澤
確かに教育行政は大変多極化してて、一元化されてないからどこと交渉して、どことやっていけばいいのかというのを考えていかなければまずいですね。今ま
で
にも我々も随分失敗まではいかないまでも勘違いしてたのはありますね。日本のシステムだったら教育委員会というのは一つしかないと考えているんですけど、
小学校の教育委員会と中学校の教育委員会とは別なんです。というようなことで、それだけではなくて非常に入り組んでますよね。・・・学校もあるし、国境警
備隊の学校もあるし、場合によって、農林省が所管しているところもあるということで、非常に複雑です。ですからどのチャンネルがどの学校につながっている
のかというのがなかなかわかりにくいですが、国際協力やっていくときにもそれは大きい問題なってくるんですね。
それから我々が研究としてやってきたこととは、もちろん人材としては活用させてもらいますけれども、目的は明らかに違いますので、そこのところは峻別し
て
つきあっていこうというふうに思います。それから形体計測というのはこれはそれだけの我々の研究テーマで純粋に学問的な興味からやっているところ方が多い
わけですから、拠点にあわせて、東南アジア保健統計研究会の研究内容というものもある程度は調整をするということも必要になるんではないかと思っていま
す。今年はすぐに調整はできませんけれども、少しは変更して拠点に合わせた調査、この後、皆さんに知恵を借りたいと思っているんですけども。
佐川
小学校の中にできた機会拡大中学校が、学校の中で及ぼした影響で、今まで小学校6年生が責任を持って、いわゆる児童会活動的な学校の中のリーダーが、中
学
校ができたことによって、生徒会までメンバーが増えたことによって拡大したことが___みているんですね。小学校6年生ではそれくらいしか出来なかったけ
れども、中学校3年生が1年生や、場合によってはアルバル?の子供たちの面倒を見るようになったことによって、学校生活というのがかなり変わったんではな
いかと、そういうふうに見ています。
それは例えば学校の先生と児童しかいなかった時には出来なかったことが、いわゆる中学生がリーダーシップを発揮できるようになったことで、その教育の内
容、教師の質的な向上みたいなものが上がったんではないかと、そういうふうにみることができると思います。そういうふうに実現できるようになった内容の中
で、例えば学校全体の保健的なことや環境や安全的なもののフォローというのができるようになったんではないか、そういう気がしています。それはある意味で
は、中学生が関わるようになって、教育が薄くなったところもあるかもしれませんけど、そういう人たちが入ってくることによって、先生たちだけでは出来な
かったことが随分出来るようになったんではないかと考えると、どのやり方があるかわかりませんけど、そういう中学生の安全教育をすることが結果として小学
校低学年生や中学年生に良い効果を与えるようなプログラムの可能性はあるんではないかと思います。
笠井
私は佐川さんがおっしゃったことにあてはまることもあると思います。しかし実際保健教育に関して調べていきますと、それまで小学校の免許しかを持ってい
ない先生が研修を受けて中学を教えているので、力不足を感じることが多い。その能力的な問題以外には、授業時間が非常に増えていることも問題です。さらに
研修にも行かなくてはいけないので、教員への負担がものすごく大きくなっていることがわかりました。
他の主要な教科にウェイトが置かれているので、保健というものがちょっと薄まるという印象がありました。でも今の薬物やエイズのことを考えると、そこに
ちょっと集中してほしいとは思うのですが、負担が多くて手が回らないとういうのが、どうも現状みたいです。加えて、機会拡大教育はさきほどお話したような
理由から、機会拡大教育以外の学校と比較してやや教育水準が低くなっているように一般の人が感じる傾向があるらしいです。機会拡大教育の方にいかなくて、
よりいい学校、専門的な先生がいる中学を好む、親にもそういう意識があるらしいです。従って、学校の格差というのが生まれつつあるらしいです。それは箕浦
先生の論文にも書いてありました。機会拡大によっていいこともたくさんあるのもわかるのですが、レベルの低下というのも避けられない現状かなという気がし
ております。
大澤
機会拡大教育によって、増えた学校と水増しされた学校や子供たちに対する援助というか教育というか、それはこの仕事のひとつになっていると思います。昨
日言いましたチェンマイのユッパラーみたいなのに比べて、ボッケオの機会拡大教育によって新たに中学校、中学生になった人たち、あるいは先生たちにも、特
別な配慮が必要なのではないかと思います。
ラオスにおける身体検査,体力測定
大澤
時間もなくなってきましたので、最後に西嶋さんにラオスの話を伺いたいと思っています。
西嶋さん,では最後に、ラオスにおける身体検査、体力測定というテーマで。
西嶋
今までの皆さんの発表と視点がずれるかと思います.去年はつくば市のスポーツ振興計画作成という業務に携わり,勉強になりました。また,今世紀になって
最
初に独立した国で有名な東テイモールの独立式典におけるスポーツ祭典への支援業務にも携わりました.必要な機材の要請を調査し,持っていくことが使命でし
た。この業務プロセスで外務省のCICAの人と一緒で,大変勉強になりました。
先ほど,大澤先生から少し説明がありましたが、研究とはまったく違う技術があります。それが大変勉強になりました。私が院生の時はこういう国際協力はす
べ
て大澤先生から耳学問で教わっていました.実際に,体験してみると,大体その通りでした.一回実施したような感じがあり、非常に助かりました.
大澤
可能性はゼロではないですけど。インドは期待していないんではないですか。
大澤
日本医師会はネパールを学校保健の対象にしているんですね。しかし学校保健とは言え、お医者さんがネパールに行って、診療して、薬を置いてくるという、
そういうのを学校保健だと、医師会は言っているんです。そういうのも始まりましたよね。
西島
東ティモールに2回行きました.1回目は要請調査、英語ではニーズサーベイと言うんですけど、その対象国で何が今求められているのか、日本の予算をつ
のって、有効な援助、仕送り、ニーズサーベイがあって事業計画を立てて、次にマスタープラン、事業プランを立てます。そのプロセスにおいて,20年間実施
してきた研究のノウハウと知見が役に立ちます。
次にラオスです.私が事業で勉強になったのは、1995年に国家スポーツマスタープラン策定事業に携わったことです.3月と夏休みと2回に分けて行きま
した.最初はノウハウ通りに,ニーズ調査実施しました.一度帰国し,マスタープランを作成しました.3月のニーズ調査では,私の目だけでは不安だったの
で,短期1週間ぐらいですけれども、大沢先生,笠井先生に来て頂きました.ビエンチャンの東側の県に視察に行きました.視察する県は,人口の大きい順番に
5つを予定していました.
2003年1月現時点ということで、ラオスの人口は1995年の頃よりも増加し,500万人超えました。タイは約6000万人。昨日、綾部さんからトッ
プから入り込んで行けないかと言う話がありました.1995年に行った時には,スポーツ省の副大臣クラスのところで仕事ができたので、そのことがよく理解
できました。東ティモールの時は人口がもう一桁小さく,スポーツ部局には役人がいない状況でした。内乱の直後でした.体育局の課長、体育の課長が一人しか
いない.その人も最近まで高校の体育教師でした.
タイの場合は多分人口が大きいので、援助する対象地域をもっと絞ることが大切です.援助対象地域は国境地域にするか、山岳にするか、あるいはタイの教育
省のトップで今一番やりたい政策に有効なものか、という選択があると思います.笠井先生が発表されたスライドにタイの子どもが描いた理想的な学校の絵に,
畑や家畜が登場していました.学校に畑を作る、学校に厩舎を作る、多分成功するじゃないかなと思います。日本でもどこかで実験してみたらいいと思います。
筑波大学附属駒場中・高等学校はもともと農業学校でしたので,現在も学校行事として田植えを実習しています.
大沢
小学校5年ですか?ファイブ イヤー プライマリーオブ スクールが標準ですね?
西嶋
そうですね。もうひとつのグラフがあります.6歳から23歳まで,スクールアテンダンス バイ シクスアンドエイジといいます.1992年です。
こういうふうな山になるんですよね。ボーンと最初始まるのかと思ったんですけど6歳から。
大澤
6歳で学校に行っているのが30何パーセントで、22歳まで、まだ学校に行っているのが8パーセントぐらい。随分学校に行ってますね。
?
それですと11歳で90パーセント。
遅く入った連中がまだ22歳で高校生をやっていて、そういうのあるんです。
大澤
それにしても、17歳の就学率が60パーセント、なんなんだろう。こういう統計がいっぱいありますからね。
?
学校に行けない子は分母にはいってないんですよ。
大澤
これはリテラシーレイト?
西嶋
そうですね。
大澤
読めないのが、36パーセントですか?一年間しか行っていないのが1パーセント弱ですよね。一番多いのが5年かそれ以上の小学校というのが20パーセン
ト、19パーセント
ですかね。低いですね。これね。ユニバーシティだって1個もないですね。
西嶋
この時はカレッジ3個ですね。
大澤
これは恐らくほとんどがラオ族なんでしょうね。
西嶋
北とか東の方はちゃんと統計されているかわかりませんけど、メコン川沿いのタイとの国境のところ辺は実際は幼稚園までにテレビでタイ語を覚えると、小学
校
1年生で全員書けるようになるというような、半分笑い話のような話ですが。
?
15歳以上でワンイヤプライマリーほぼいるということですね。これだけ。2イヤプライマリーの学年にいるってことですよね。